ローマで半年研究を行うことになりました. その顛末を以下に記します. 2011/7/13作成開始
イタリア滞在中の業績を以下にまとめておこう。
飲んだワインの本数 170本程度
飲んだビールの本数(大瓶) ワインよりは多い。恐らくワイン×1.5程度
休肝日 4日
自転車走行距離 4470km
パンクの回数 8回 内訳:自宅2回、研究所2回、チリチア通り1回、トラステベレ駅付近1回
オスティエンセ駅1回、カブール広場1回
持って行って良かった物
自転車 これが無ければ片道二時間から二時間半かかっていた。おまけに太っていたはず。
空気入れ 大阪のノリで、自転車屋に行って空気入れを借りれるかとおもいつつ念のため持っていた。
これが無ければ持って行った自転車が無意味になるところだった。
伊和+和伊コンパクト辞書 こんなに辞書を使ったのはおそらく初めて。
「ローマ散策」河島英昭著、岩波新書 何回も繰り返し読んだ。
包丁+ナイフ イタリアの包丁は全く切れない。
昨日バールで話をしていて、二人が空港まで送ってくれることになった。約束どおり朝5時50分に来てくれた。家のゴミを捨てて、引っ越しで運びきれなかった段ボール二箱と手荷物、それと私の自転車を二人の車二台に分散させて乗せる。自転車をファビアーナの車に乗せて、私もその車に乗って空港に向かった。
車中では、スカイプできるかとか、パソコン何使ってるのかとかそんな話をする。出発ロビー前の少ない駐車スペースには当然止められず、二重駐車をして荷物を下ろす。いつ駐禁切符を切られるのかわからないのでゆっくり話はできない。罰金は150ユーロだそうだ。かなり高い。しかし名残惜しくなかなか別れることができない。
最後に一人ひとりと抱き合って別れた。
以上でローマでの出来事は終了である。
さすがに最終日はいろいろやることがある。まずは朝食を食べにスーパーのバールに行く。お別れモードなので朝からしんみりしてしまう。スーパーで別れ、妻は幼稚園の先生と共作した幼稚園の演歌のお披露目会に出かけて行った。
まずは、ローマでもっとも眺望が気に入っているカンピドッリオの丘にまた行く。朝早いので観光客はほとんどいない。ここからの景色がローマを表していると思う。
景色を眺めつつ、またローマを訪問したいものだなあと考えていたら、トレビの泉に行かないとと思いついた。あそこでコインを投げればまたここに来れる。家族三人分の三枚コインを投げてやろうと勇んで自転車で向かう。
やはり冬は観光客が少ない。さっき用意したコイン三枚を後ろ向きに投げる。しかし、コインを投げて自転車にまたがった直後に思い出した。コイン一枚投げると再び来れる、三枚投げると別れられる。ガーン。しょうがないので今日の用事を済ませにまず本屋に行く。
二本まで飛行機は時間が長いので、息子がギャアギャア言わないたに何か暇つぶしになる本を買うのが今日の第一ミッションである。Mel bookstoreというローマでは大きい本屋に行って、足し算の本と引き算の本を買う。その後すぐ隣のローマ三越に行き、引っ越しの料金を支払った。ここは日本人ばかりなので楽ちんである。段ボール7箱で1100ユーロ。さすがに高い。担当の方はローマに12年住んでいるそうで、いろいろ嫌なことを味わったそうだ。雨戸が途中から切れた修理代はどの位でしょうか?と聞いてみるものの、そのようなことには遭遇したことがないそうだ。
研究所に行っていろんな人に挨拶する。受け入れ教員のテレーザと、博士課程学生のミケランジェロとは長く話をした。毎日入講許可証をもらっていた守衛のおじちゃんに別れを告げて研究所を後にする。今日も空き地ではラジコン飛行機をやっている人がいて、道にはローディーが自転車を飛ばしている。帰り道は気持ち悪いくらい停止することが無かった。信号が次々と青に変わっていった。
4時にスーパーのバールに着いた。妻と息子は厨房でファビアーナ(バールのおねえちゃんの一人)と話していた。今日はまずプロセッコを飲み、そのあとビールの大瓶を飲んだ。少し前に来ていた妻によると、デーボラ(バールのおねえちゃんのもう一人)のお父さんが窓屋さんらしく、壊れた雨戸を見てくれるという。これは大助かりだ。お父さんが来る前にスーパーで最後の買い物をする。魚屋の岡田准一からヒラメを買った。次に肉屋に行ってハムを買う。カルボナーラの作り方を教えてくれたおじさん、パン屋のおばさんと別れる時にかなりジンと来る。レジ打ちのお姉さんも別れを惜しんでくれた。
デーボラのお父さんに雨戸を見てもらうと、そのままバリバリ修理を始めた。私も手伝って、20分位で修理が出来た。デーボラお父さんは決して代金を受け取ろうとはしなかった。
昨日の残りの酢飯とすき焼きですき焼き丼を作って朝食とした。酢飯はどうかとおもったがすき焼きを乗せるとさして気にはならない。その後近くの郵便局に電話代とガス代の支払いに行く。いつも30分以上待たされるのだが、今日は10分程度で済んだ。今日はついているかもしれない。
昼食はスーパーのバールで食べることにした。それにしても名残惜しい。また、あさって帰国するとは信じがたい。ビールを大瓶と小瓶と二本飲んだ。飲んでいると、丁度シフトが変わる時間だったのでスーパーの従業員が続々やってくる。それぞれの人と写真を撮ってもらう。バールのおねえちゃんは息子にストローをたくさんくれた。毎日ジュースを飲むときにストローをくれていたからだ。
もう帰国間近なのでたくさん買い物をするわけにはいかないものの、食べたいものはあるのでスーパーで買い物をする。息子が肉屋のおじさんと写真を撮りたいというので惣菜コーナーに行く。カルボナーラの作り方を教えてくれたおじさんが息子も気に入ったためだ。というか実は、生ハムを買うたびにすこしハムを食べさせてくれるためである。そのおじさんに売り場の外に出てきてもらって写真をとった。隣のパン屋のおばちゃんとも写真をとった。
ヤマト運輸に荷物を持って行ってもらい、おそらく最後の買い出しにワイン屋に出かける。ローマ中心部を自転車でうろうろする。今まで行ったことの無かった、ミルビオ橋に行ってみた。ポーポロ門から延びる旧フラミニオ通りとテヴェレ川が交わる所にかかる橋である。こんなへんぴな所には観光客はいないかと思いきや、縁起のよい場所らしく愛し合う二人の名前を記した鍵がうじゃうじゃくくりつけられていて結構ひとがいる。
バチカンのワイン屋に行ってフィナーレを飾るためのワインを買う。トスカーナのものを三本買った。
夜に日本人会のMさんと大家のロンゴさんに来てもらい、敷金の返還など退去の手続きをとる。1月分の家賃は半額まけてくれた。その半額で、我々が退去後にくる光熱費の支払いと部屋の掃除代、それと雨戸の修理代に充てる。まるまる帰ってきた敷金は、昨日運んでもらった引っ越し代に消える。長年ミラノで領事をされていたMさんといろいろ話していて、日本人と外国人とのつながりを作りたい、また日本人が外国で活躍して欲しい、との思いが強く伝わってきた。根っからの外交官であることがよく分かった。Mさんに、「イタリアでの経験を今後生かしてください」と言われた。心底そうしたいと思う。
こちらで非常にお世話になったバールのおねえちゃん二人を夕食に招いた。二人とも寿司を食べたことが無いというので、できればマグロなどを使って寿司をごちそうさせたかったのだが、残念ながら日曜日は魚屋がやっていない。しょうがないのでスモークサーモンや卵などで手巻き寿司と、すき焼きを作ることにした。
イタリア人のことなのでドタキャンもあるかと危惧していたものの、きちんと30分遅れで家にやってきた。まずサラダを出す。これはまあうまいうまいと食べてくれた。割り箸を使ってもらったら、箸をつかうのは初めてらしい。和食のレストランに行ったことが無ければ使ったことはないだろう。また、おねえちゃんの一人のデーボラはスモークサーモンも食べるのも初めてらしい。酢飯はまあまあうまく出来たと自負していたのだが、どうもいまいちらしい。どうやら二人とも魚はそれほど好きではないらしい。
引き続きすき焼きに突入する。寿司よりはよさそうだがこれも食べっぷりは今一つ。ううむ残念。
結局イタリア語は上達しなかったので、会話はなかなか進まない。しかし、いろいろ話せて盛り上がった。最後には、二人が妻に”Con te partiro”(サラ・ブライトマンがTime to say good bye”という名で歌った曲)を歌え歌えとはやしたて、ステージ以外では歌わない妻も観念して私と二人で歌った。これはかなりウケた。こっちに来る前に歓迎会に備えてこの曲を練習したものの、そのようなものが一切無かったので披露する機会が無かったが、最後になって使うことができた。
帰り間際にベランダの話になって、ベランダに出るため雨戸を上げようとした。こちらの雨戸はなかなか優れもので、電動で上下するようになっており、下げ具合によって密閉できたり隙間を開けたりできる。閉めていた雨戸を上げたら雨戸の下三分の二が途中でちぎれて下に落ちた。明日大家がやってくるのに。。ガーン。
トルコ人留学生のグセビンちゃんが食事に招いてくれたので息子と食べにいった。いろいろなトルコ料理を食べさせてくれた。どれもまあまあ辛いことを初めて知った。
その後スーパーに買い物に行く。ここに買い物に来れるのもあと数回である。スーパーの従業員のかなりの人は挨拶するようになり、また一部の人とは話をするようになった。研究所の次に滞在時間が長いためだろう。岡田准一似の魚屋の兄ちゃんと話をする。来週の水曜日に日本に戻るといったら、また来れないのかと残念がってくれた。二の腕をゴツンと合わせるさよならの挨拶を教えてくれた。来た当初にカルボナーラの材料を教えてくれた肉屋のおじさんは向こうからいつ帰るのかと聞いてきてくれた。以前にバールで1月に帰ると言ったためだろう。
多くの人に親切にしてもらいこのスーパーには本当に助けられた。息子とスーパーを出る時には目頭が熱くなった。最終回には号泣してしまうかもしれない。
例年なら正月は実家に帰ってひたすら飲んで食べてゴロゴロする。なので体重が三が日で2キロ位増える。しかしおせち料理のようにだらだら食べ続ける物も無いので、食事はいつもと同じである。さらに今年は毎日自転車で2時間程度走った。まずピラミデ駅に行き、そこからチルコマッシモ、コロッセオを通ってベネチア広場にでる。コルソ通りをポポロ広場方向に進んでリナシェンテの前で右折してトリトーネの噴水の少し手前で左折する。するとスペイン広場にでる。バルカッチャの噴水を左折してコンドッティ通りを行き、そのまままっすぐ行くとカブール広場のワイン屋の前にでる。サンタンジェロ城の裏を回るとサンピエトロ寺院の前に出る。元旦はクリスマスよりも観光客が多かった。サンピエトロ寺院に入る行列はいつもよりもかなり長かった。
昨日はMさんの家で新年会があって肉をたらふく食べた。しかしこれだけぐるぐる走っているので、例年襲われる膨満感が全くない。今日は息子とバチカン美術館に行ってきた。入場するための長大な行列が夏には出来ていたものの、今日は行列は全く無し。中もそれほど混んでいなかった。しかしとにかく広いので疲れる。二人で昼寝をした。システィーナ礼拝堂を観て帰る。
さて、われわれの滞在もあと10日ほどになってしまい、新年を迎えることになった。どうやらローマでは0時に爆竹を鳴らすらしいことは聞いていた。しかし1週間前程から、家の近所のところどころでバチバチと爆竹の音がし始めた。いかにもクソガキという連中が爆竹をもってうろうろしているのも見かけた。先日バス停でバスを待っている時には、となりの空き地で「ドカン!」と巨大な音がした。横にいたイタリア人もビックリして、「車の故障じゃないか?」と言っていたが、私には地雷が爆発したように聞こえた。爆発の直後、煙がもくもく出てきた。
午前中に、新年にのむワインをバチカンまで買いに行き、さらに来年に我が家で行う可能性のある寿司パーティ(イタリア人は約束しても来るかどうかわからないため)でつかうマグロの下見をしに先日教えてもらった魚屋に行く。確かに魚は新鮮そうだ。ためしにエイを買った。
昼食後スーパーのバールに行き、どこに行けば花火がよく見えるかバールのおねえちゃんに妻に聞いてもらったところ、「ベランダから見える」と答えをもらった。しかしベランダっていても家によって向きも違うしなあ。また適当な事言ってるなあ、と思いつつ家に帰る。
晩御飯は、まずは先日トレビーゾで買ってきたクラテッロ+スーパーで買ったモツァレラチーズを前菜。エイをムニエルにしてプロセッコと生クリームでソースを作り、そこにパッケリという巨大なマカロニ状のパスタを入れてプリモピアットにした。スーパーのおねえちゃんが大晦日には豆とソーセージを食べると言っていたのでメインは豆とソーセージのトマト煮込みを作った。イタリア人は10時過ぎから大晦日は食べ始めるらしいが我々はそうはいかない(というか早くうまい酒を飲みつつ食べたい)ので6時ごろ開始してしまう。
11時半位になると、そこら中で例の地雷のような爆竹の音がし始めた。煙と火薬のにおいが我が家までやってくる。さらに時間がたつと、アパートのベランダや屋上で花火をやり始める。プシュー、バチバチと火花がでる花火をベランダから外に向けてやったり、ピューと音がでるロケット花火をベランダから打ち上げたりしている。以前に大学の宿泊所の中で花火をやってこっぴどく怒られた苦い思い出がよみがえる。すこし遠くでは打ち上げ花火がバンバンあがり始めた。それも一カ所ではなく、ところどころかなりの場所で花火を打ち上げている。ローマに点在している、あの意味のなさそうな空き地がこういう時に役に立つのか。なるほど。しかし誰が打ち上げるんだろう。町内会レベルでやっているんじゃないかと思えるくらい、そこら中から打ち上げ花火が上がる。それぞれ見事な花だ。こりゃ確かにバールのおねえちゃんが言っていたとおりである。ベランダに出れば花火は見える。
数が多いのでとにかくうるさい。花火の打ち上げる音と、地雷爆竹の音で戦争のようである。明るい光が空中に上がっているのでよく見ると照明弾だ。ピンク色の光がゆっくり地上に落ちてゆく。映画「地獄の黙示録」で照明弾が打ちあがるシーンを観たが、本物は初めて見た。
Trevisoはベネチアから電車で30分程度のところにある小さな街だ。しかし世界に名だたるベネトンの本社があり、また自転車では有名なピナレロの本社もここにある。街には縦横に運河が走っている。できればピナレロの工場を見学したかったのだが、少し遠いのでピナレロのショップに行くことにした。
中にはピナレロ本人の写真がいっぱい飾ってある。おそらく孫であろうちびっこが描いた絵もいくつかあった。何か記念になりかつ使えるものが無いかと探していると、ピナレロマークが入ったなかなかかっこいいシャツがあるのでそれを買う。お揃いのパンツも勢いで購入してしまった。
午後は博物館に行き、ラストエンペラー展を観る。清朝最後の皇帝の溥儀に関する展覧会だ。溥儀が来ていた服や、切り取った辮髪なんかが展示してあった。おどろいたのは、西太后がただの政治家ではなくかなりの文化人であり、詩や絵を作成していた、ということだ。花の絵が4枚展示してあったが、本当に本人が描いたのだとすると相当な能力である。
こんなに小さな街にも関わらず、ブランドの店が並ぶガレリアもあれば博物館もいくつかある。レストランのレベルも高い。ベネチアと違ってまっとうな料金でよい魚料理が食べられる。散歩しながら見つけたレストランでウナギを食べた。トレビーゾ産のプロセッコをうまいうまいと飲んでホテルに帰ったらどこかで部屋のカードキーを落としたことに気付く。ガーン。
妻のレッスンが再びボローニャであるというのでついてきた。レッスンの間、息子と二人でうろうろする。中心部の広場まで来ると、塔が二つ見える。前回来たときは登らなかったので、今回はトライしてみることにする。この塔が予想以上に高い。階段をぐるぐるぐるぐる回る。登りと下りで別れているわけでないので、行き違うときはどちらかが踊り場で待たないといけない。階段は498段あり、高さは94メートルだ。
上に登ると遠くまでよく見える。街の近くに丘があるのをはじめて知った。またローマと違うのは、郊外にビルが結構建っていることだ。ローマではビルはほとんど見ない。
塔の後は肉屋にいって再びクラテッロを買う。まだ時間があったので、前回バスの中から発見していたMuseo Morandiに行ってみた。Giorgio Morandiという画家は実に味のある静物画を描く。初めて見たのは大阪万博公園の中にある国立国際美術館というところだ。この美術館はいつもすいていて、企画展の料金が1000円近くしたときは窓口のおばちゃんに「高くてごめんねえ」と言われたことがある。残念ながらこの美術館は中之島に移転してしまった。移転してからはまあまあ混んでいる。
Morandiはいいのはもちろんだが、企画展で展示されていたAlexandre Hollanの作品も実によかった。知らずに部屋に入り、Morandiの作品かと間違えた。もしかして晩年はこんな絵を描いていたのかと思いきや別の人の作品だった。しかし間違えるくらい共通する雰囲気だ。水彩画とは思えない深い色である。
再び駅からイタリア版新幹線(といってもフランス製)に乗って今日の宿泊地Trevisoに向かう。
もしかしたら今日は研究所は閉まっているかもしれないという不安をかかえつつ今年最後に研究所に向かった。街に車は相変わらず少なく、快調に自転車に乗ることができる。研究所まで最近はだいたい70分位かかっている。来た当初は65分位で到着していた。なんとか1時間を切りたいものだ、と思っていたところ、このペースならいけるかもしれないという希望が出てきた。それから頑張って走ったところ、59分34秒で着いた。
門の前にガードマンが立っており、今日は閉鎖とあっさり言われてしまう。そのまま帰るのもしゃくなのでアッピア旧街道を通って帰る。ここもローマらしい雰囲気を味わうことができる。いつもは観光客を数人見かける程度だが、今日はイタリア人がうじゃうじゃいる。みなジョギングしたり自転車に乗ったりしている。ここのところ天気がよく、クリスマスで食べまくった後で外に出たくなるんだろう。
家に帰ると、幼稚園で一緒であるOさん母子が遊びに来ていた。お土産にもってきてくれたシャンペンと、帰り道でかったプロセッコと、先日ワイン屋で買ったBrunello di montalcinoを飲んだ。このブルネッロはかなりうまい。Oさんから、幼稚園の近所にとても質のよい魚屋があると聞いた。どの魚も新鮮で、生でも食べれるものが多いそうだ。ううぅ、なんとも残念。もっと早く発見していれば。。
クリスマス当日。街の雰囲気を知りたくて午前中は自転車でローマ中心をうろうろする。さすがに車が走っていない。元旦の雰囲気満載だ。ただ、予想よりはバスがちゃんと走っていた。コロッセオは営業していた。ここは稼げるからなぁ。一方でフォロロマーノは人がいない。共通券になっているはずなのに。
ローマで眺望が一番気に入っている、カンピドッリオの丘に行ったら日本人の女の子二人から写真を撮ってくれと頼まれた。何だか日本人がうじゃうじゃいる。家族連れも多い。もう休みに入ったんだろうか。
丘のあとはスペイン広場に行った。ここは年中人が多い。しかし一昨日と別に変わった様子もない。そのままポポロ広場に行って、坂道を登ってピンチョの丘に登る。今日は天気がいいので非常に眺めがよい。そのまま、Trinita dei monte教会まで行く。途中、アマルフィで織田雄二が犯人を追いかけて息切れした坂道を発見した。
晩御飯は、私が作った鶏肉の赤ワイン煮込みと、妻がつくったバーニャカウダだ。今まで何回か赤ワイン煮込みは作ったことがあるものの、うまくできたためしがない。酒があると飲んでしまう+待つのが嫌い、というたちなのでうまくいかない。しかし、ここにいると毎日赤ワインを一本開ける。体調によっては一本まるまる飲めないこともあるわけで、そうすると余る。次の日はまた別のワインを開けるので、あまりのワインが溜まっていく。これを有効活用できるわけだ。日本では、次の日になってもなんだかまずいなあと思いながら飲んでしまっていた。
月刊誌「専門料理」には、赤ワイン煮込みの実に美しい写真が掲載されていた。それには及ばないものの、もうちょっと煮込めばあの色が出るのではないか、というところまでいったものの腹が減ったので食べ始めてしまった。色は今一つだったものの、味はまあまあだった。少なくとも、先日某所の空港で食べた赤ワイン煮込みよりはうまかった。専門料理にでている、あの官能的な色はどうしたら出るのだろう?
さて本日はクリスマスイブだ。イブには魚を食べて当日には肉を食べるそうなので、魚を仕入れなければいけない。イブの魚といえばコマッキオで学習したとおりウナギなので是非ともウナギを食べたい。近所のスーパーには売っていないかもしれないので、テルミニ駅近くの市場に買い出しに行った。
さすがに本日は人でいっぱいだ。大晦日のアメ横の様相を呈している。ただし魚屋の店員は呼び込みをしていない。八百屋は「1ユーロ!」と大声をあげている。ここの市場には魚屋が10軒位並んでいるんだが、ウナギを売っているのは1軒しかなかった。そこでのぞくと、私が知っている単語のAnguillaというのは小さくて、それとは別に巨大なCapitoneという太いのが売っている。コマッキオで食べたのはこの大きな方だろう。どちらもキロ25ユーロだ。過去の経験から、クリスマスにきばって大きい食材を買ってしまうと食べきれずに捨ててしまうことが多いので、小さいのを1尾買う。これが4ユーロ弱。以前に旅先で見たテレビ番組のとおり、これはトマト煮込みにするつもりだ。これだけだと物足りないので小さい鯛を二尾(2ユーロ)とアサリを500グラム(5ユーロ)買った。これは全てトマト煮込み。これと別に大きなエビを6尾買う。これは焼いて生クリームのソースをかける。
一度家に帰って、これから3日分の食材をスーパーに買い出しに行く。25、26日はスーパーが休みのためだ。さてスーパーの魚屋にもウナギが売っていた。AnguillaとCapitone両方売っている。おまけにまだ生きているではないか!うねうね動くのをみて息子は大喜びである。今日は人が多いので、最近レジに回っていた岡田准一に似ている兄ちゃんが魚屋に復帰している。どうやって食べるのか?と聞いてみると、フリットにすると言う。それで君は食べたことがあるの?と妻が聞くと、「一度も食べたことが無い」とのこと。へえぇ。そういえばバールのお姉ちゃんも、アクアパッツァ(ホウボウなどの白身魚をケッパー、オリーブ、アサリと煮込んだ料理)を食べたことが無いと言っていた。名古屋以上にローカルな社会である。その兄ちゃんに、「1尾頂戴」と言うと、自分は扱ったことないから、といって別の兄ちゃん(最近いつも魚コーナーにいる大きい人)をよんできた。目打ちをして、腹からビビビー、と裂いて内臓を取ってくれるのかな、と思いきや、トントントンとぶつ切りにして終わり。こんなんだったら岡田准一にもできただろうに。ぶつ切りにしてもウナギはうにょうにょ動いていた。
ウナギが二尾(うち一尾は生存)になったので、一匹はトマト煮込みにして一尾はフリットにする。内臓が入ったままだと臭くなると思ったので取り去ろうと思うもののにゅるにゅるしてうまくいかない。おまけに身が固くて包丁がうまく入らない。何とか内臓を取り去ってもまだ動いていた。すごい生命力である。夏バテ対策といって日本で食べる理由もやっと理解できた。
どうせくさいかな、とあまり期待していなかったものの、トマト煮込みもフリットもかなりおいしい。蒲焼にすると消えてしまう(というか意図的に消している)淡水魚の風味がよく分かる。クリスマスは料理をいくつか作ってたいていどれか失敗するんだけど、妻が作ったエビもうまくできて、近年まれにみる大成功となった。
しばらく出かけていたため日記を書くのをすっかりサボっていた。今週は月曜日から研究所でベスタの熱進化の研究をしているポスドク+院生とかなり議論をした。はじめはあまり期待していなかったものの、なかなか面白い研究になりそうで今後楽しみである。
昨日からは道の渋滞がひどくなった。クリスマス雰囲気が満載である。というか日本でいうと大晦日の雰囲気によく似ている。道は二重駐車の連続で車は身動きとれない。店は客でいっぱいで、その外には物乞いがうろうろしている。天気も良く乾燥していてますます日本の大晦日にそっくりだ。イタリア人はクリスマスイブには魚を食べる習慣があるんだけれど、残念ながらカニとかイクラとかは売っていない。コマッキオで学習したとおり、ウナギのマリネが店頭にならんでいる。いわゆるクリスマスケーキは存在していないようで、その代わりにパネットーネというお菓子を食べる。12月に入ったとたんこのお菓子がスーパーに並んだ。大学院生に聞いてみるとこれを12月には何回も食べるらしい。12月に入ったとたんにスーパーには子供向けのおもちゃも並んだ。大学院生に聞いてみると何回も買うらしい。イタリア人は12月いっぱいクリスマスを楽しむのだろう。
妻の歌のリサイタルがあるため再びグッビオにやってきた。前回うろうろした際に発見していたリストランテで夕食を食べる。グッビオ産白トリュフのタリアテッレに遭遇した。とうとう白トリュフを食べれる時がやってきた!グッビオ産の食材盛り合わせ前菜と白トリュフパスタ、それとラグーにする。ワインはMontefalco riservaにした。
前菜は野菜の盛り合わせと豆のブルスケッタ、ポルチーニ茸のパイ包み、それと定番の一品、いり卵の黒トリュフかけだ。どれもおいしかったが、最後のトリュフが抜群だった。いままで味わっていた黒トリュフが別物のような、気品のある香りがする。前回は土の味を楽しんだ一方で、この黒トリュフは香りが抜群である。量がいかんせん少ないので、味はわからない。白トリュフへの期待が盛り上がる。
とうとう白トリュフが目の前に!写真で見た通り、薄茶色のスライスがパスタの上に乗っている。香りのインパクトはさっきの黒トリュフに比べると少ない。ジベッロ産生ハムに通じる、まろやかな香りである。どうしても強烈なインパクトを常に期待してしまうので少々拍子抜けする。しかしワインとはよく合った。ここのリストランテは全体的に味付けがあっさりしており、モダンな感じである。明日の夕食にもう一度別の店で白トリュフを試してみよう。
ワインが無くなってしまったので、サンタンジェロ城の裏のワイン屋にまた行く。これで4回目だろうか。ここのワインセラーは本当に飽きない。もうあと1月程しか滞在期間が無くなってしまったので、高いワインに手を出すようになった。今日は31ユーロのBurunello di montalcinoと、トスカーナのIGTであるLe Cupole de Torinoroを買う。ブルネッロはどうも自分で買ってうまかったことが無い。おそらく抜栓してすぐ飲んでしまうからだろう。酒屋のおじさんは、飲む二時間前に抜栓せよと教えてくれた。
そのままサンタンジェロ城に行ってみた。チケット売り場で「EU市民は割引料金」と書いてあったので、「ローマに住んでるけど割引あるか?」と聞いたらパスポートを持ってないとダメだと言われてしまう。先日行ったプラネタリウムは居住証を見せると1ユーロ安くなったんだが。。
あまり期待していなかったが、ここは本当にお城っぽくて面白かった。巨大な石の塊がごろごろ積んであって、その横に巨大なアーチェリー様の物体が置いてある。おぉお、これはどこかで見たことがあるぞ!あぁ、スターウォーズエピソードVI、ジェダイの帰還だ!
屋上に上がると眺望が開ける。ここで、織田雄二が「赤ん坊を抱っこしている女はスリです」と言ったわけだ。。しかしここは入るのに8ユーロも取られるのでそのような人は全くいなかった。
次の日曜日に妻のリサイタルがあるのだが、その時に着るドレスが日本から持ってきた1着しかない。その色が薄紫色で、イタリアでは葬式の色でありリサイタルで着るのはありえないそうだ。そのため別のドレスを買わないといけなくなった。
スペイン広場周辺の店をみた後、Spagna駅から地下鉄に乗ろうとした。乳児を抱っこした女性が数人いてその周りに子どもが何人かいる集団の近くから地下鉄に乗り込んだ。すると左の脇の下がごそごそするので振り返ると、赤ん坊を抱っこした女性が地下鉄から降りていく。赤ん坊は本物のようだった。首からかけていたバッグをみるとチャックが開いている!このバッグは私のではなく妻のを代わりに私が持っていた。「チャック開けたか?」と聞くと「開けてない」という。すぐにバッグの中をチェックすると、妻の財布は盗まれてはいなかった。この中にはついさっきおろしたばかりのドレス代1800ユーロが入っている。その現金も確認した。危ない危ない。
織田雄二主演「アマルフィ」の中で、「赤ん坊を抱っこしている女はスリです」というセリフがあるのだがその通りだった。この映画を観たときは、新婚旅行の際「あそこに座っている人はスリです!」と日本人ガイドに指を指された苦い思い出がよみがえり、「見かけだけで決めつけちゃよくないよ」と思った。しかし今回はまさにそのセリフ通りであった。電車の中だけでなくホームをよく見るべしという教訓を得たわけである。
昨日に引き続きMさんの御主人とお子さんと遊びにいった。フィウミチーノ空港に行く途中で恐竜展をやっていて、私はバスで行くつもりだったけど一緒に行きましょうということになって車で行ってみた。恐竜展というので化石がごろごろ陳列しているものと思っていたら、実際は恐竜の実物大の模型が並んでいた。しかしこの模型がなかなか秀逸で、人が近づくと動く。目がぱちくりし、口がパクパクしっぽがぶるぶるする。かなり大きいのでなかなかの迫力がある。ただ、大人と子どもで20ユーロと高い。
恐竜展の後、たまたま見かけた Salone della giustiziaという展覧会に行ってみた。Giustiziaという単語を車の中でみかけて、これはもしや味(gusto)の展覧会では? 「美味しんぼ」ででてきた食材の博覧会か? と思ったためである。しかし行ってみたらイタリアの治安維持機関の展覧会だった。国家警察や軍警察が車両を展示していた。私がときめいたのは、ランボルギーニのパトカー。これはかっこよかった。これは高いので息子にもさわっちゃだめだよと念を押す。写真を撮りまくった。ふと気が付くとちびっこが運転席に乗っている。ううぅ、私も乗りたい。。と思いつつも何故か我慢してしまった。かなり心残りである。こんなことでもない限りランボルギーニには乗れない。我ながら小心者だなぁ。とほほ。。
今日は息子の同級生のMさんの家でパーティーに参加した。3家族が集まって飲み食い。他の2家族の御主人は日本人学校の先生である。
酒の話をしていたら、Mさんは大学の醸造科のご出身であることが判明。卒論ではひたすら日本酒を作っていたそうだ。「趣味の酒つくり:ドブロクを作ろう実際編」という本を見せてくれた。うぉー、すごい。熱い気力にみなぎっている。「醸造が法律で禁止されているのは日本ぐらいだ!」「我等に自由を!」とデモ行進のようなアジテーションが満載である。中身は本当に実践的で、初級・中級・上級と分れており、最も簡単なのは蜂蜜酒、難しいのはビールやウィスキーだった。いやーすばらしい。実際に作るかどうかは別にしてこういう本は希望がムクムク湧いてくる。
今日もサンタンジェロ城の裏にある巨大なワイン屋に行ってきた。何回みてもここのワインセラーは飽きない。前回は、Radda in Chiantiという土地のChianti classicoを買った。他にもあるかと思い、店員に聞いてみたらRaddaのは無いと言われてしまった。前回かったワインには気付かなかったようだ。
20ユーロ程度でおすすめは無いかと聞いてその店員が教えてくれたCastellina in ChiantiのChianti classico riservaにした。
ここのワインセラーはイタリア中のワインがそろっているので、ついでにToscana以外のワインものぞく。Barolo, Balbarescoはさすがに高い。100ユーロ以上がごろごろ。日本で何回かこれらのワインを買って飲んだことがあるが、まだ感動したことが無い。100ユーロ出せば感動が待っているのだろうか。。
今回のワインは前回のと違ってキチンと熟成が進んでおり、スムースな味わいである。ゴリゴリしていない。いやーうまい。日本で高いお金でワインを飲むのがバカらしくなってくる。帰ったらまた日本酒を飲もう。
昨日の研究所からの帰り道に、先日のワイン教室の講師に教わったエノテカに行ってみた。地下のワインセラーの巨大さにかなりびっくり。これだけ巨大なワインセラーは見たことがない。イタリア中のワインがそろっている。日本で愛読していた「ワイナート」誌に登場するあこがれのワインがゴロゴロ。それも、ちょっと奮発すれば手が届く。うひゃー。しかしこれだけあると全天サーベイは無理だ。とほほ。。
昨日買ったキャンティクラシコと合わせるため、肉をどうしようかとスーパーで迷う。スーパーでも、まだ食べていない野菜と肉がいくつかある。七面鳥の手羽を買う。かなり大きく、鶏のモモよりも一回り小さいくらいで1ユーロ。肉質はさっぱりしていて、「ヘルシー」と表現されそうな味である。一方のChianti classicoは、以前に訪れたことのあるRadda in Chianti産で期待していたのだがもっと寝かせた方がよさそうな味だった(抜栓後1時間半の印象)。
昨日予約しておいたリストランテで前菜を二品、パスタを二品食べた。前菜はカルチョ―フィーのスフレと、パルマ産バルサミコ酢ソースのエビ。パスタは再びタリアテッレボロネーゼとオマールエビのパッケリ。ここは魚と肉の両方を売りにしている。ここで食べたボロネーゼはうまかった。一口目にインパクトがある。ひき肉に何とも言えない滋味がある。豚が育った台地が見えるようだ。昨日のシェフは人の良さそうなおばちゃんだった。今日のシェフは若い兄ちゃんのようだ。やはり料理には人が現れる。
テルミニ駅で奮発してBrunello di Montalcino(32Euro)を買う。ボローニャの肉屋で今日かったCulatello di Zibelloと合わせるためだ。その肉屋は近所のスーパーと同じように番号札をとって待つスタイルで、いかにも地元感があった。昨日の食材屋では100グラムで10ユーロ程で、本日は100グラムで6ユーロだった。ジベッロ産ではないクラテッロは3ユーロだった。いやー、すばらしい。
家に帰ってきてクラテッロを食べる。はじめはそれほどでは無かったものの、食べ続けていると感動が来た。これは生ハムを超えている。時には花のような印象があり、時には地面が見える。実に典雅。このハムを効果的に使った料理があるかと思うと恐ろしい。いやー、何とかしてジベッロ村に行ってみたい。
妻の歌のレッスンがボローニャであるのでついてきた。朝7時半に家をでると、バスはそうでもなかったものの地下鉄がものすごく混んでいる。一本見逃して二本目に乗った。あまりに混んでいるので息ができないと息子が泣き出す始末。つくづく自転車で研究所まで通っていて良かったと思う。だいたいローマには地下鉄が二本しかない。これでローマ近郊からの大量の通勤人口をなんとかしようとするんだから無理がある。それでみなさん車に乗って道が渋滞するんだろう。現在三本目のC線を建設中だが、いつ完成することか。地面を掘ると遺跡が出てきてしまうので進まない。京都と同じだ。
さてボローニャはレストランが異常に多い。昼食にさっそくボローニャ名物であるTagliatelle alla Bologneseを食べる。まあプロの味ではあるがそれほどインパクトは無い。夕食に期待しよう。
夕方に街を散歩する。とにかくレストランが多く、かつうまそうな店が多い。うまそうな店は雰囲気で大体わかるものだが、かなりの割合でハズレなさそうである。また本屋が多い。ヨーロッパ最古の大学があるからだろうか。
レストランが開くのは7時から7時半。腹が減ってしまったので、食材屋で買ったZibello産の生ハムCulatelloを食べる。今回の滞在の目標の一つに、ポー川沿いにあるZibello村を訪問してCulatello料理を食べるというのがあった。しかしその村はローマからは遠いのでまだ達成していない。しかしボローニャまで来るとCulatelloが売っている。さすが美食の街だ。強烈な香りがあるのかと期待していたら、反対にCulatelloは非常に上品な味だった。いつもスーパーで買っている生ハム(といってもちゃんとその場でモモを切ってくれる)の味が粗雑なものに思えてきた。チャンスがあればやはり村を訪問したい。
結局、昼食をとったトラットリアに夕食を食べに行った。他に見つけた、ホテル近くのトラットリアが残念ながら予約でいっぱいだったためである。歩いて自分で見つけたレストランに入ろうとするとこのようなことがまま起こる。散歩している途中に見つけた別のよさげなリストランテも今晩は一杯と言われたので、明日の昼食を予約しておいた。
タリアテッレボロネーゼと、カボチャのパスタを食べた。昼食時は味が物足りなかったが、Culatelloを食べて学んだ上品さがあるように思えてきた。強烈なインパクトよりも、エレガントな味がこの土地の特徴かもしれない。
今日は息子の幼稚園でおゆうぎ会があり、それを見に行った。親たちはみな三脚を持ってきてビデオ撮影する。妻がこっちにもってきたビデオで私も撮影をすることになった。三脚が無いので疲れる。しかし最近のは手ブレ防止機能がついていて、ちょっとぶれたぐらいでは画面は動かない。大したもんだ。
息子への褒美ということで地下鉄Pyramide駅の近くにある回転寿司に行った。かなりの席が埋まっていて、当然イタリア人ばかりである。なんだか違和感がある。つけ場には三人職人が立っていて、みな日本人だ。
メニューをみてドキッとする。一番安い皿で3ユーロではないか。。3ユーロといえば300円強。300円皿といえばすでに勇気のいる皿だ。。もっとも安い3ユーロから始まり、3.5, 4, 4.5, 5, 7, そして9ユーロである。あれれ。。これではおちおち食べられない。。と落ち込んでいると店の人が「ここのシステムはご存じですか?」と聞いてきた。知らない、と答えると、「ランチでは、流れている皿は全て3ユーロで、それに味噌汁が付きます」とのこと。これで少しだけホッとした。
すぐ向かいに職人のおじさんが立っていて、当然ながら日本語で会話ができる。これも不思議な感じがした。以前にパドバで食べたものよりはだいぶうまい。しかしごはんもネタも日本のそれとは残念ながら比べようがない。やはりこちらの魚の鮮度であり、その味がする。マグロ、サーモン、ヒラメのエンガワ、卵、エビ(ご飯だけ:ネタは息子)、カンパチ、イナリ(一部)、タコ(ご飯だけ)、サーモンの押しずし、トビッコと間違えて食べたマグロの軍艦、それとギョーザを食べた。自宅でヒラメを食べた時に感じたとおり、エンガワは巨大だった。食べた中ではこれが一番うまかった。
エンガワに合わせて、久々に日本酒を飲んでやろうかと思ったところで息子が「ごちそうさま」と言うので店を後にする。3人で14皿食べてビールを11本飲んで50ユーロ。ビールは1番搾りだった。夜に行く勇気はないなあ。駅までの道にケバブ屋があり、1食3.5ユーロだった。
先日のgubbioで買ってきた黒トリュフでリゾットを作った。リゾットで使う米の中に埋めて冷蔵庫に入れておいた。開けてみると買ってきたときほど香りが無い。トリュフは卵と合うというのが定番で、旅行でもいり卵と黒トリュフという料理を食べた。
いつものように、ニンニクとタマネギを炒めてそこに米を投入する。ダシをわざわざとるのは面倒なのでブイヨンとお湯をいれてゆでる。アルデンテ程度になったところでペコリーノチーズを削りいれる。さてトリュフ登場。Tartuffo di Gubbioで買ったスライサーで削る。はじめは裏表逆に間違えてうまく削れなかったものの、正しい面にすると切れる切れる。いかにも、という感じでトリュフのスライスがリゾットに舞い降りた。
しかし肝心の香りはいまいちだなあ。「土」の風味がしない。レストランで食べた黒トリュフはうまかった。保存方法がまずかったか。。トリュフも旅行させてはいけないのかもしれない。もう一回gubbioに行くはず(妻が歌う)なので、その時にちゃんと聞いてこよう。もう一つの課題は、前回二軒のレストランで「白トリュフは無い」と言われたことだ。黒トリュフの味はかなり味わえたので、ぜひ白トリュフも味わいたい。昨日のワイン教室の兄ちゃんによると、まだ早いそうなので1月に再訪するときにぜひとも味わいたい。
スーパーのワインに飽きてきて、さらなるステップに進むためにワイン教室に参加した。ウェブでたまたま見つけたvino romaというサイトで夕方からの教室を予約した。50ユーロ。まあまあの値段。
地下鉄カブール駅の近くに教室というか空き家があって、そこで6種類のワインのテイスティングをした。白が三種類と赤が三種類。定石どおり、軽いものから重いものへと進んでいく。参加者は5人で、私以外の4人はアメリカ人だった。講師の兄ちゃんに聞いたところによると、旅行者しか参加しないらしい。地元のワインを愛するイタリア人にイタリアワイン教室はいらないのかも知れない。
「試飲」よりもむしろ「講義」で、ワインは少ししか飲めなかった。色を確認し、香りと味を自分の言葉で表現することに重きが置かれていた。以前からだけど、香りや味を言葉で表現するのは難しい。しかし何か言おうとすると頑張って味見をしようとする。何も考えずただガバガバ飲むのでなく、記録をつけようと思えば酒量が減るかも知れない。
ワインの色を確認した後、グラスをぐるぐる回す。今までは、回すのは空気とワインを接触させて香りを立てるためだと思っていた。しかし講師は、回したことでワインの液面が到達した上端を見ろ、という。そこに張り付いたワインがどのくらいの速度でグラスを流れ落ちるかが重要らしい。糖分が多いほど、またアルコール度数が高いほど、落下速度が低くなる。粘性が増加するためだ。今回の講座ではアルコール度数が12%から14.2%のワインをテイスティングしたが、見事にこの傾向が当てはまった。家に帰ってから、先日のgubbioで購入したMontefalcoを開けてさっそく実験した。13.5%と予想したら見事に当たった。妻には、「前もってラベルみたんじゃないの」と疑われた。
昨日の夜、ウンブリア州のGubbioという街にやってきた。テノールの小さなコンサートがあり、その続きで妻が歌うかもしれないので下見をかねてやってきた。昨日の夜はホテル併設のレストランでポルチーニ茸のパスタとトリュフのパスタを食べる。残念ながらトリュフは油づけだったものの、量が多いので香りが立つ。一緒にのんだこの地区のDOCGワインも渋い味だった。
ローマからの電車は時間が無かったため切符を買わずに乗った。検札に60ユーロも罰金を取られた。以前は割増料金を払えばすんだのに。。電車の中では現在やっている数値計算のプログラムの修正をひたすらした。駅に着く2分前位にバグが取れた。
今日は街を散歩した。山の斜面に形成された街で、建物はすべて石造りである。たいそう味のある風景だ。この街はトリュフで有名らしく、途中で見つけたTartufo di Gubbioという店でそこで黒トリュフとスライサーを買う。トリュフは15ユーロだった。私の前の人は白トリュフを買っていて、親指よりも一回り大きいくらいで98ユーロもしていた。さすがに高い。
昼食にトリュフのタリアテッレとポルチーニのパスタを再び食べる。今回のトリュフは生だ。段違いに香りと味が違う。土の味だ。とれた場所の情景が浮かぶようだ。実にうまい。これがまた土地のワインとよく合う。昨日飲んだワインと同じメーカーで格下のものであるが、生トリュフとともに飲むとすばらしい。油漬けのトリュフはそれ独自の香りがあるのだろうか。生トリュフにはその「むわっ」とした香りが無いものの代わりに土の香りがする。これで今回の滞在の目標の一つはクリアできた。満足満足。
こちらに来た頃は、近所のスーパーに売っている2ユーロとか3ユーロとかのワインでもうまいうまいと飲んでいたものの、さすがに舌が肥えてきたらしい。このひと月くらいはスーパーのワインでは感動しなくなってしまった。さすがに一日一本飲んでいると、スーパーの白ワインは全ての種類を飲んでしまい、赤もかなりの種類飲んでしまった。一方で旅行にいってリストランテで飲むワインは大抵うまい。そしてスーパーでは売っていない。こちらでは酒屋はエノテカと言うのだが、帰り道に発見していないせいでまだ行ったことがない。
そこで先日、妻が体調を崩した時に行ったバチカンの食材店で、ついでにワインを一本かった。日本で愛読していた「ワイナート」誌に載っていた「プロミス」を発見したためである。15.5ユーロだった。
今日開けて飲んでみるとやはりうまい。トスカーナでも海に近いボルゲリという地区の産だ。日本でも何回かこの地区のワインは飲んだことがあるので実績は知っているけど実にうまいうまい。次の目標は、ブルネッロディモンタルチーノだ。8年前にローマに来たときに参加したワイン教室で飲んだ。実に渋い、日本の寺のような味がするワインである。先日パドバで飲んだけれどもやっぱりうまかった。しかしなにせ高い。イタリア高級ワインはおそらくバローロ、バルバレスコ、ブルネッロでありその一角を占める。バチカンの食材店では100ユーロ近いのもあった。しかし次に見たら買ってしまうだろう。うしし。
日曜日の夜に両親がローマにやってきた。8日間のイタリア旅行のツアーに参加し、ヴェネツィアとフィレンツェを見たあとにローマにやってきた。8日間で13万弱という格安のツアーである。安いだけにホテルは中心地から離れている。その代りにローマのフィウミチーノ空港には近い場所だ。たまたま私のアパートが同じ方向にローマ中心から離れているため、そのホテルからはそれほど距離は無い。しかしバスが1時間に一本しか無いので自転車に乗って迎えに行った。
月曜日にローマの中心を案内した。ところどころで同じツアーの参加者と会う。両親と同じくらいの夫婦だったり、20代のカップルだったりいろいろだ。両親が言うには、みんなしょっちゅう海外旅行に行っている人ばかりらしい。パンテオンの近くであったおばちゃん4人組みは強烈だった。道の向こうからギャアギャアしゃべりながら近づいて来て、「パンテオンはどっちどっち?」と地図を見せながら聞いてきた。この道まっすぐ行くとすぐですよ、と言うと次に「スペイン広場はどこ?」と聞いてきた。スペイン広場はちょっと遠い。でも地下鉄の駅がありますよ、と言うと「地下鉄は乗るとわけわかんなくなっちゃうから!」とまた大声で言われた。とにかく元気である。日本の将来は明るいと思った。
ツアーに参加するような人は、「外国語しゃべれないし。。」とか「何書いてあるかわからないし。。」ともじもじしていると勝手に想像していた。その想像を両親にも当てはめて、「フリータイム:ご自由にご夕食をおとりください」なんていうのを見ると、ちゃんとまともなものを食べてるのかなあと心配したりした。しかしローマにやってくると全く杞憂であることがわかった。バスに乗っても、行きつけのバールに連れて行っても日本における振る舞いそのままだった。「息子がお世話になってます」とたまたま現れたバールのおねえちゃんの両親に頭を下げていた。
翌朝ツアーに合流するためホテルにタクシーで両親を送る。するとタクシーでツアーの参加者のオジサンがどこからか帰ってきた。どこに行ってきたのか聞いてみるとシスティーナ礼拝堂だという。この日は昼に空港から日本に帰るので、その間の時間を利用して行ってきたようだ。自転車を組み立てて両親にさよならして走りだすと、別のツアーの参加者がホテル近くのカフェから手を振ってくれた。とにかくみなさん時間を有効に使っている。
とにかく、私が想像していたようなツアーの参加者はいなさそうだということがわかった。みなさん安い料金のツアーを最大限に利用している。行きたい場所がツアーにはまっていれば、ツアーを利用するのも悪くなさそうだと改心した。
妻が風邪をひいたらしく、おまけに息子にもうつった気配がある。風邪をひくと我が家ではよくうどんを食べる。日本からもってきた乾麺のうどんが無くなってしまったので私が日本食材を売っている店に買いに行くことになった。買いに行くといってもうどんを売っているような店が近くにあるわけではない。自転車で30分近く走ってバチカンにある食材店まで行く。ここは日本食材に限らず様々な国の食材が売っている。当然であるが、近所のスーパーでは買えないようなイタリアの食材も数多くある。
その店に乾麺は無く、ゆでてある麺が真空パックされているうどんを4つ買う。ついでにパン粉を見つけたのでそれも買っておいた。スーパーでパン粉を見たことが無い。さらにうろうろすると瓶詰のトリュフを発見した。できれば生が欲しいところだがまずは練習として瓶詰を買ってみる。どうやら油の中に薄切りのトリュフが浸かっているようだ。50gで20ユーロ。「美味しんぼ」で読んだ値段よりは安そうだ。
昼食にさっそく使ってみた。前日に買ってあったパルマ生ハムをオリーブオイルで少し炒め、そこに生クリームを入れる。さらにペコリーノロマーノを削りいれて、少々火を通してからトリュフを投入。そこに、ゆでたてのタリアテッレ(生)を混ぜて完成。体調の悪い二人をおいておいて一人で食べる。トリュフの香りがむゎ、と広がる。昨日のレストランとは使う量が違うからであろう。うぅう、うまい。プロシュートとペコリーノとトリュフの香りが一体となって申し分ない。瓶詰が無くなったら生トリュフにステップアップだろう。うしし。
研究所はローマの中心よりも少し高いところにある。近づくと遠くまでよく見える。遠くには丘が3つほど見えており、その上に街がある。日本でも斜面にある街にひかれるものがある。尾道とか、神戸とか。日本で一度行ってみたいところは、新名神に四日市から入ってすぐの右側にある斜面にある集落だ。まあそれはおいておいて、それらの丘の街の中で昨日はTivoliという街に行ってきた。渋滞していたせいで2時間近くかかった。ここには世界遺産のエステ家の別荘というのがある。ここはかなりの斜面に作られている。その位置エネルギーを利用して、噴水がピューピューとうじゃうじゃ噴き出している。噴水の出口は何かしらの造形物になっている。以前に書いたほら貝とか魚の口とか。これだけ噴水があると異なる物を作るのが大変だ。まあ確かにここからも液体は出るねえ、というものもある。
今日は研究所の裏にあるFrascatiという街にいった。ここはワインの産地で、行く途中にはブドウ畑がたくさんあった。街の広場からはローマの平野がよく見える。
うまそうなレストランを探すもののなかなかピンとくるのが無い。どこも客は少ない。しばらくうろうろして古そうなリストランテに入った。おそらく店の主とおそらく常連のおじさんがしゃべっていた。とりあえず自転車は外に置いておいて中に入って席に着こうとすると、自転車は中に入れていいと言ってくれたので中に入れさせてもらう。あまりの急斜面を登ってきたせいか空腹がそれほどでも無くなってしまった。とりあえずビールを飲んで、パスタだけ頼んだ。ポルチーニ茸とトリュフのタリアテッレにした。今回の滞在の目標の一つとして、トリュフの味を覚えるというものがあったのだがまだ実践できていなかった。
出てきたパスタはとてもうまそうな見栄えである。食べるとポルチーニ茸は良くわかるのだが、トリュフは難しい。細かい粒になっていて味も香りもよくわからない。しかしソースをまとめて口に含むと、一瞬であるがおそらくトリュフが引き起こした地面のイメージが湧いてきた。その後頑張って再現しようとしたもののうまくいかない。トリュフは今後の課題である。
昨日は一日家でごろごろした。日本人会の情報によるとまたデモが計画されていたらしかったが、それほどニュースになっていないところをみると大したことなかったんだろう。
妻の仕事につかう楽譜を買いにポポロ広場近くのCD+DVD+楽譜専門店に行った。妻は楽譜を300ユーロも買った。かなり重い。でも日本で買うよりはかなり安いらしい。息子にせがまれて「ルパン三世 カリオストロの城」のDVDを買った。私は「ニューシネマパラダイス」と「ライフイズビューティフル」の二つをせっかくイタリアにいるし買おうかどうか迷って買うのをやめた。見たことある映画を買うのもなあ、というのと先日買ったフェリーニの81/2をまだ観てないしなあ、と思ったためである。
毎日行くスーパーでよくかかっている曲をかねがねゲットしたいと思っていた。バールのお姉ちゃんに聞いてみたもののまだ曲名が分かっていなかった。ついでなのでこの店にあるかどうか妻に聞いてもらった。聞くといっても曲名は分からないので「フフフー」と妻にハミングしてもらって店員に聞いてみる。私が先日バールで聞いたときに妻もいて、私が必死に再現しようとしたおかげで妻もその曲を認識してくれている。こういうときに妻を頼ってしまうのでイタリア語は上達しない。今回の滞在で認識したことは、怒られたときと自分の欲望を表現するときに語彙が増えるということだ。
二人目の店員は分かってくれたようだ。Googleで調べる、と言ってひとしきりガチャガチャ端末をいじる。息子もその歌を歌いだして周囲の客が面白がってくれた。店員は近くのCDの棚に行って「これの5曲目」と一枚のCDを差し出してくれた。Ennio Morricone & Dulce Pontesのタイトルとモノクロの写真が表にあった。明らかにあの曲のポップな雰囲気と違う。裏面の1曲目にはCinema Paradisoと書いてあり、その名前におぼろげな記憶があったので、「Ennio MorriconeはNuovo Cinema Paradiso(ニューシネマパラダイス)の人じゃないの?」と聞いてみるもののイタリア語が通じなかった。20ユーロもするので躊躇したけど、せっかくここまで探してくれたのに申し訳ないと思いそのCDを買う。
家に帰り、ルパン三世を息子に見せる前にそのCDの5曲目を聞くと思いっきり違う。予想どおり、ポップな雰囲気とは縁遠いしっとりとした曲だ。ガーン。20ユーロがパぁか。。気を取り直して1曲目から聞いてみると一曲目はやはり「ニューシネマパラダイス」のテーマ曲だった。もともとは無い、歌がついている。二曲目は「ミッション」のテーマ曲だった。「ミッション」は宣教師を描いた映画で音楽はやはりこの人である。どちらもいい曲である。しかし歌はイタリア語ではない。ライナーノーツを見ると、どうやらスペイン語のようだ(後でポルトガル語であることが判明)。このアルバムは作曲家と声楽家のコラボレーションらしい。一体何を間違えればこのCDに到達するのかわからないが、とりあえずいい曲が聞けて良かった。
昨日、プローチダ島から帰ってきた。見事になにもしなかった。朝食を食べて私は書類を書き、妻は歌の勉強をした。昼食を食べに港に行き、ワインを飲んで昼寝をして夕食にまた港に行って食事をして寝た。プローチダ島は思いっきりオフシーズンで、リストランテのカメリエーレに聞いても11月からは営業しないそうだ。
たいてい旅行に行くと疲れて帰ってくるのだが、さすがにそれほど疲れずに済んだ。ただ、食べて寝るだけなので体重は増える。いろいろ名所を頑張って巡りたいという欲望は最近めっきり減った。そのかわりに、おいしいものを食べたい欲望がかなり増えた。おかげで「トリップアドバイザー」ばかり見るようになった。
朝食を食べてからホテル前の卵城を見に行く。城の上から下をみるとかなり高く、結構怖い。カモメが飛んでいるのを見ると自分が高いところにいるような気がしてこれもまた怖い。
プローチダ島というナポリ近郊の小島に行くためにフェリー乗り場に行った。切符を買ったのが定刻20分前で、結構あせりながら乗り場に行くものの何番かわからない。船員に聞くと12時15分から乗り込みだからまだ時間あるよなんてことを言う。しかし12時15分まではあと2分しかない。まったく呑気なもんだ。こっちこっちと妻と息子を手招きして走らせると、「そんなにいそがなくても大丈夫」と言われたそうだ。
フェリーが4艘とまっており、よくみると10時35分発、11時35分発、11時55分発、それと私たちの12時30分発だ。えぇえ、まだ10時台のが出航してないのかよ。どこまで呑気なんだ。しばらくすると順番に出発していった。ほぼ1時間位遅れているようだ。われわれの船はまったく出る気配はない。ナポリ人は時間にいい加減で仕事をちゃんとしないから北部の人間にバカにされるんだよ、と心の中で悪態をつく。
われわれが座っていた横にイタリア人が二人座ったので妻が船はいったい何時にでるのかと質問すると、「12時30分」と言われる。「もう過ぎてる」というと、「まだ12時7分だよ」と答えた。あぁ!今日の朝で夏時間から通常時間に切り替わるのを忘れていた。これならもっとホテルで寝れた。ナポリのみなさん、悪態ついてすいませんでした。
今日から連休なのでナポリに遊びに来た。ローマからはユーロスターで1時間10分なのですぐに来れる。しかし一方で街の雰囲気はローマとは大違いである。ここに来るとローマが普通のおとなしい街に思えてくるほどカオティックだ。夕食にピザを食べに行った店はナポリの下町エリアに存在し、かなり細い道を車とスクーターと歩行者がぐちゃぐちゃに通っている。スクーターに乗っている人はヘルメットをかぶっていない。ローマでは必ずかぶっていた。子供を膝の上に乗せて携帯で話をしながら片手でスクーターを運転しているおっさんなんかがいる。
午後はホテル近くの砂浜に行った。4年前の夏に研究会のために来たときに海でおばちゃんがうじゃうじゃ泳いでいた。ナポリの海で泳げるのかねえとその時は疑っていたものの、砂浜まで降りてみると水はとてもきれいだった。結構大きな魚が泳いでいるのが見える。10月末だというのに海水浴をしている人もいれば日焼けにいそしんでいる人もいる。そこでズボンをまくり上げて息子と海に入った。はじめは冷たく感じるもののすぐに慣れる程度の水温だ。これは快適。
しばらく海で遊んでいると日が傾いてきた。すると日焼け軍団は、銀紙が貼られた段ボールみたいなものを持ち出し、反射光を自分の体に当てている。はぁ、そこまでするかねえ。そういうアイテムが既製品で存在するらしく、何か図柄とsun and seaと文字が書いてあった。
降りるバス停を逃したおかげでピザを食べた後ホテルに着いたのは12時くらいになってしまった。それでもどこのレストランも満員で、歩道いっぱいにはみ出した席でギャアギャアわめきながら食事をしている。食事をすることに対する強い意志みたいのが感じられる。ピザ屋も相当うるさかった。アホな学生が満載の居酒屋程度のやかましさだ。ローマではそれほど感じなかった、愛して食べて歌うの三点セットの雰囲気がビシビシ感じられる。南部の人間が北部の稼ぎを食いつぶす、と北部の人間が思うのもこれじゃ無理はないかも。
昨日と今日と、久々に自炊で感動したのでその食材について書いておく。スーパーの魚屋でかねがね気になっていたrombo(ヒラメ)を昨日買ってみた。日本のヒラメよりも形が正方形に近く、色は花崗岩のようだ。こっちでは切り身は無いので一尾丸ごと買う。ちょうど1キロで13ユーロもした。半分をムニエルにして食べた(残りの半分は妻の調理で煮つけになり息子の弁当のおかずになった)。身は厚く食べごたえがある。味は日本のヒラメと同じ。ビックリしたのはエンガワで、大きくて分厚い。こんなに分厚いエンガワは初めて食べる。脂身がぷるぷるだ。口に含むとヒラメ特有のうまみが口に充満する。ソースがあればさらにおいしかった。しかしソースまで作る気力が無い。ダシをとる時間と手間を考えると躊躇してしまう。とほほ。。
今日はエイ(イタリア語は忘れた)を買ってきて、昨日同様にまたソースなしのムニエルにした。このエイはソースが無くても本当にうまかった。以前に日本でエイを調理したときに味わった臭みを想定していたものの、全く臭くなく、昨日のヒラメよりも典雅な風味である。おまけにエンガワとそれに付随する骨もまるごとそのまま食べることができた。骨というか軟骨のようだった。小さめのエイを買ったのでまだ子供だったのかもしれない。昨日のヒラメはそれほどでもなかったものの今日は息子も喜んで食べた。適切なソースがあれば極上の一品になるであろう。
愛読書である「美味しんぼ」のとある巻にエイが題材になる話が二つあった。一つでは確かオレンジか何かのソースをかけていた。もう一つの話でのソースは忘れてしまった。今日のエイの質であればオレンジのソースでもおいしいだろう。しかしソースを作るのは面倒だなぁ。ううぅ、しかし一方でさらなる感動を味わいたい。。また子供のエイがいないかな。。
今日は研究所で私と近いテーマの研究をしているポスドク+大学院生と議論をした。ポスドクはパドバ出身で、院生はナポリ出身だった。おかげで先日行ったパドバと今週末に行くナポリの話を聞くことができた。
息子の靴を川に落とした次の日は月曜日で、靴を買いに街中にでたものの、1時ごろまではどこも店がやっていなかった。それを聞くとパドバ等北部の街ではまあ普通のことらしい。隣にいたナポリ出身院生は驚いていた。
月曜日午前中は靴を買えなかったため、パドバ中心部を息子をだっこしてうろうろした。その途中で大学の前を通り、おそらく卒業生たちが友人や親たちに祝福されている様子を見た。アコーディオンとラッパ、それに歌のちょっとしたバンドが彼らに「ドットーレ、ドットーレ」と歌を歌っている。卒業生にはそれぞれポスターがあって、酒を飲まされながら内容を読まされている。中には仮装している卒業生もいる。
この様子を研究所のポスドクに聞いてみたら、学部生でも博士でもなく、修士の修了式のみの特別なイベントらしい。友人が、修了生に在学中にあったもろもろのイベント(内容は想像にお任せします)をすべてポスターに書き、そのポスターの内容を親の前で読むそうだ。たしかにそんな光景を見た。この風習はパドバ大学とボローニャ大学(イタリアで二番目に古い大学と最も古い(かつヨーロッパでもっとも古い)大学)でのみ残る風習らしい。まあおもしろい風習だ。日本でも、院生はこんなポスターが作れるくらいに修士の間にいろいろなネタをゲットして修了してもらいたい。そういうおまえはどうだって? それはここでは書けません。
昨日、宗教画に目覚めたこともあって、午前中にパドバにあるスクロヴェーニ礼拝堂内のジョットのフレスコ画を見に行く。これは予約制で、一回25人以内で15分しか見られない。しかしこれも相当なものだった。
礼拝堂の中全体にキリストの一連の物語が描かれている。天井は真っ青で、星がピカピカ規則的に配置されている。トラムの椅子も同じ模様だった。ところどころ聖人の顔が描かれている。星空をみたら聖人を思い出して欲しい、ということだろうか。この星空は他にはない美しいものだ。
昼食後、世界遺産になっているパドバ大学の植物園に行った。入ってみるとかなり小さい。大学の植物園というと北大の植物園を思い出す。あそこはかなり広かった。気持ち良くてよく通った。ここのはかなり小さい。なぜ世界遺産になっているのか味わえないまま門を出た。
入り口のすぐ手前に小川がある。「よく見たい」、というので息子を橋の欄干に座らせた。何だか危ないので息子を引き上げたら、靴が欄干に引っかかって脱げてしまい、ポチャリと川に落ちてしまった。あちゃー。幸いなことに息子はギャーギャー騒ぐことなく落ち着いている。「どうしようか?」「だっこしてもらうしかないかなあ」と会話ができる。靴は川に浮かんでいる。川岸に降りらればいいものの、用水路のようになっていて着地する地面が無い。それでも父親たるものジャボンと飛び込むべきか?いやいや本人が落ちたわけじゃないしそこまでするのもなぁ。橋のたもとにいた家族がじろじろこっちを見ている。
5分くらい橋の下を靴はぐるぐる回っていたが、とうとう川の主流に乗ってしまい下流に流れ出した。下流側を見ても降りられるような場所は見えない。急いで地図を見ると、下流で別の川と合流し、その付近に橋があるようだ。息子をだっこして橋に向かう。
橋に着いたもののやはり降りられるような環境じゃない。靴が流れてくるかなぁとしばらく眺めていた。他の観光客も「何かいいものが見えるのか?」と下を見るものの何も無いのですぐに立ち去っていく。「こりゃ途中で沈んじゃったかな」と私が言うと、「沈んだかもう流れちゃったかどっちかだね」と言われ、あきらめてトラム乗り場に向かった。
あの寿司屋でお寿司たべたい、と言われ、靴を落とした手前しょうがなくそこに入る。食べられないほどじゃないもののうまくは無い。そこで地図をもう一度見返すと、私たちが眺めていた橋ではまだ二つの川が合流していないことが分かった。もう少しその道を先まで行かないと靴がドンブラコとやってくる様子は見れなかった。。ガーン。
だっこをしているのは疲れるので、でこぼこが無い地面は歩かせた。すると道行く母親達が息子の足元を見ているような気がしてしょうがない。トラム乗り場で待っている時はだいぶジロジロ足元を見られた。「この親は息子を虐待しているんじゃないか?」「大変だ、通報しないと!」とか思われているんじゃないかと気になってしょうがない。
ホテルに帰る前に、晩酌の買い物をスーパーでする。息子が他の子供にさっき買ってあげた風船を見せようとしていると、果たしてその子の母親が「靴はどうしたの?」と聞いてきた。靴を川に落とした、なんて難しいことは言えないので、「靴、川」と言ったら、aqua, aqua, と反応してくれたのでおそらく状況は分かってくれたのだろう。この一件で本日すれ違った全ての母親の疑惑を払拭できたような気がしてだいぶホッとした。
またまた妻の歌のレッスンのため、昨日にパドバという北部の街に来た。今日は妻はMontebellunaという街に歌のレッスンに行くので、私と息子はBassano del grappaという、グラッパの名産地に遊びに来た。グラッパはワインを作ったブドウの絞りカスから作る蒸留酒である。「屋根のある橋がある街に行こう」と言って息子を誘い出した。
パドバからは電車で1時間で到着する。駅から歩いて5分位のところに観光案内所がある。そこまでの道がゴミも犬の***も落ちてなくとてもきれいである。案内所で息子に「地図ください」とイタリア語で言わせて地図をもらう。地図には観光名所が番号で書いてある。こういうのを見ると1番からすべて行きたがるので、だっこだっこと言われず助かる。
21番が名所の橋で、近くの38番にグラッパ博物館があった。博物館といってもグラッパメーカーの販売所を兼ねており、かなりの人がお土産にグラッパを買っていく。息子はグラッパには興味は無いのであまり観察できない。おまけに観光客がおおすぎて試飲もできない。「ジュースを飲みに行こう」と息子を誘って橋のたもとの40番のバールに行く。これはまた別のグラッパメーカーが営業しているバールである。ただしこちらは地元民がわらわらたむろしてだべっている。とりあえずグラッパを一杯。アルコール度数はウィスキー程度なので結構ガツンと来る。回りを見回すとみんな赤いものを飲んでいる。何かと聞くとAperitivo della casa というのでそれも飲んでみた。赤いグラッパに炭酸水を混ぜてレモンを浮かべたものである。
昼食後Castelfranco venetoという街で妻と合流して、Giorgioneという画家が描いた絵があるという教会に行く。その絵は多くの人に影響を与えた、たいそう貴重なものらしい。前回Montebellunaに来たときに妻の知り合いの人に聞いていた。
全く期待していなかったものの、その絵はなかなかたいしたものだった。赤ん坊のイエス様を抱いた聖母が画面上方にある椅子に座っており、その下には右に僧侶、左に兵士が立っている構図である。図の遠近感がすこし狂っているのと、一方で優しいタッチが独特の雰囲気をだしている。この絵をみて宗教画も悪くないと初めて感じた。
今日は朝から雷つきの大雨だったので、研究所に行くのはやめた。論文の校正をして、現在やっている数値計算をいろいろ走らせた。すると雨が止んだので自転車で外に出た。
まずは郵便局に行ってガス代の支払いをする。雨なので郵便局は空いているかと思いきやそうでもなかった。その後テヴェレ川岸の自転車道に降りてトラム8番終点にある本屋に向かう。テヴェレ川は雨で濁流になっており、私が自転車を下りて道に上がった先は川にのまれていた。
本屋で「フェリーニのローマ」というDVDを買って家に帰る。カルボナーラを作ってビールと食べる。ワインを飲みながらDVDを見ていたらかなり寝てしまった。
夕食後にもう一回観る。やっと少し味わうことができた。フェリーニの記憶にあるローマが色々出てくる。ローマでこれを見ると、ああこの感覚は分かるなあ、というシーンが少しある反面、大部分は味わったことのない雰囲気である。たとえば食事をしているすぐ横をトラムが通っていくとか、劇場で人々がギャアギャアやりあう場面とか、まあ他にもここでは書けないような猥雑なシーンが色々満載である。このころのローマに比べると今のローマはだいぶん整っていて、トゲが無くなっているようだ。まあ、ああいう深い世界を私がまだ知らないだけかも知れない。
このDVDを見て思いだしたのは、「血と骨」「夜を賭けて」(梁石日著)で、戦後の大阪の情景が色々描かれている。フェリーニのローマに勝るとも劣らないカオスである。しかしこれらの作品に描かれているような局面に遭遇することは現在の大阪に住んでいても無い。しかし一方で、日本語は分かるので大阪にいると人々の振る舞いがそれらの作品に通じる何かがあるのが分かる。ローマにいて唯一分かることは、研究所がとにかくやかましいことだ。なんでそんなにもめることがあるんだよ、と心の中で毎日悪態をつくぐらい、ドアの向こうからギャアギャア話し声がする。言葉が分かればおもしろいだろうになあ。
朝、シティバンクのページで取引履歴を確認すると、昨日は書かれていなかった詳細が出ていた。ブルガリアで私の10万円が引き出されていた。はぁ?ブルガリア? ヨーグルトを毎日食べて長生きしているおじいちゃんをテレビで見たことがある。そんなのどかそうな国に悪者がいるなんて。。
研究所に着いたらすぐに携帯にシティバンクから電話がかかってきた。担当者に事情を話す。「銀行の中のATMを使って、回りに人はいなかったんですけどねえ。どうやって暗証番号を手に入れるのでしょう?」と言ったら、「まあ手口はいろいろあって、カメラをつけるとか、鏡を何枚か設置しておくとかあります」とのこと。へえ。他にも、回線に細工をするとか何とかいろいろ言っていた。そんなことされちゃったらどうしようもない。さらに、「操作はアメリカで行われてます」とのこと。まったく最近の犯罪はグローバルである。アメリカから指令をだしてブルガリアのATMで金をだせるのかね。
これからは、ATMで暗証番号を入力するときは、カバンや手で10キーを隠すしかないでしょう。そのぐらいしか予防策は思いつきません。
旅行に行っていたせいで更新をしばらくできなかった。久々に研究所に行くと、もう季節はすっかり秋である。半袖で出歩いている人はいない。私も長袖を着るようになった。
出国する前、こちらでも現金が引き出せるようにシティバンクに口座を作って、そこにお金を振り込んでおいた。そのお金をおろして毎日の生活費にあてている。残高をウェブで確認してみると、ただでさえ少ない残高が予想よりも10万円ほど減っている。取引履歴をみると、前回の引き出しに引き続いて見覚えの無い5件の引き出しがあり、占めて10万円位になっていた。シティバンクに電話してみると、怪しい取引があったので現在は口座をブロックしているとのこと。さらなる被害は避けられた。
しかしカードを他人にいじくられたような記憶は全くない。前回の引き出しで気になった点は、通常は出てくる取引内容を記述した小さな紙が出てこなかったことぐらいである。回りに人はいなかったし、その場で現金を数えた。
この顛末は後日報告できるでしょう。みなさんにおかれましても暗証番号を頻繁に変えるとかが防止につながると思います。久々に痛い目にあいました。
今日は私が息子を幼稚園まで送っていた。私の自転車はとても子供は乗せられないロードレーサーなので、バスで幼稚園まで行くことになる。一回家まで帰ってくるのも面倒なので、今日はそのままバスと地下鉄で研究所まで行くことにした。
7時56分、自宅を出発。それほど待たずにバスは来たおかげで8時18分に幼稚園を出発。歩いていたらバスが来たので走って乗る。これが8時25分。8時55分に地下鉄A線の駅Corneliaに到着。ここは終点の一つ手前である。ここから反対側の終点Anagnlinaに9時45分到着。ここからバスにもう一回乗らなければならず、それはたしか毎時0分と30分だったはずだ。しかし一向にバスは来ない。10時のバスは来ず、結局10時30分に出発。研究所到着が11時2分。幼稚園を出てから2時間44分もかかった。帰りはちょうど二時間だった。これじゃとてもやってられない。雨季に入ってもおそらく自転車だろう。200ユーロ以上する雨合羽も買ったことだし。
オクトーバーフェストといえばドイツの有名なビール祭りだ。これがローマでもあるというので行ってきた。
今日は夕方から妻がオペラを観に行くので、その間は息子の子守をする必要がある。なので息子を連れて行った。「今日はビール公園に行くよ」と言ったら、「えー、公園の中にビールがあるの!」となかなか乗り気である。
6時開始のところ5時過ぎに会場についてしまった。しかしここまではまあまあ遠かった。おおむね研究所の方向で、すこし南にずれたところである。公共交通機関で1時間半ほどかかった。
会場となっている巨大なテントを見つけたものの、中は真っ暗でまったく始まる気配は無い。まあ、先日銀行に開店前に行ったときも、行員はほぼ開店時間ぴったりに出勤してきたから6時くらいにならないと動きは無いのだろう。幸運なことに子供向けの遊ぶスペースがあったのでそこで息子を遊ばせる。「ビール公園」と言ったのがウソにならずにすんだ。
果たして6時になっても全く動きは無し。そのテント近くの、小さなビール売り場は開店したのでそこでフライングする。このまま待っていてもいつ開くのかわからない。ビール売り場のにいちゃんに聞いてみると、boh (さあね)という返答。こんな単語始めて聞いた。ビールは5ユーロと高いものの、味はかなりうまい。
7時過ぎになってやっとチケット売り場が開店。小さなビール売り場でさんざんスナックを食べてしまったため、食欲が無くなってしまい当初目論んでいたソーセージとビールをやる気力がなくなってしまった。代わりにビールだけ飲む。やはり5ユーロ(0.5リットル)だがうまい。正面のステージでは何か演奏が行われそうな気配がするものの一向に始まらない。席もガラガラである。ぎゅうぎゅうに詰められて1リットルのジョッキをみんなが開ける光景とは全く違っていた。
8時になって妻が合流し、さらに二杯飲んで9時過ぎに家に向かおうとするものの目の前でバスが行ってしまった。20分程まってバスに乗って終点の地下鉄の駅で降りると、地下鉄は動いていない。「ほらこの前いったとおり、地下鉄の終電は早いのよ」と言われてしまう。バスの中にA線は9時までと書いてあったような気がする。しかし代替バスがあったのでそれに乗った。結局家にたどり着いたのは12時近くだった。ここまで体力つかって行くほどのものじゃ無かった。。でも行ってみないとわからないので致し方ない。酒好きの性である。
9月半ばから非常に車が増えた。バカンスが終わったためだろうが、バカンス前よりも増えたような気がする。おかげで通勤時に喉がおかしくなるようになってしまった。排気ガスのひどさは、バカンス前を荒川の北側である埼玉、バカンス後を南側の東京ぐらいに考えるとちょうどいい。
なので今日はマスクをして研究所までいった。バイクは結構走っているんだけどマスクをしている人は一人もいない。これだけの排気ガスならしててもよさそうなもんだが。アジアの大都市では結構マスクをしている。イタリア人の美学がゆるさないのだろうか。いつもはゴミよけにサングラスをしているんだけど、さらにマスクとなると異様なのでサングラスはせずに行った。
とにかくマスクをするとかなり快適だった。100%とまではいかないもののかなり排気ガスを軽減してくれる。おかげで喉がおかしくならずに研究所までついた。
今日は昼に研究所を出てチャンピーノという、ローマのローカル空港がある街までいった。なぜかというと、オクトーバーフェスィバル@ローマというのがやっていて、ドイツのビールが飲めると知ったからである。酒好きとしてはいかないわけにはいかない。研究所から30分くらいで会場についたものの、営業していない。しょうがないので家の方向に向かって走っていたら途中の競馬場にも同じフォントのポスターが貼ってあってそこも会場になっていた。開いているかな?と期待したもののここも営業していない。平日の昼じゃ無理ないかもしれない。しかし会場の回りには何時から開くのかどこにも書いていない。
帰ってスーパーのバールでビールを飲む。今日はよく冷えていてうまい。買い物をしてからオクトーバーフェスィバルのホームページをみてみると営業時間はどこにも書いていない。なのでいつも開いているものと勘違いして行ったわけだが。。「メニュー」の欄をクリックするとメニューの画像ファイルが表示される。その一番下に、Ti aspettiamo dale ore 18:00! (18:00まで待ってね!うふ)と書いてあった。ガーン。
昼ごはんを台湾系イタリア人のジョバンニと食べ、その後立ち話をしていると初めて会った女の子が合流し、なんかのネットワークの調子が悪いから何とかしてくれと英語で頼んでいた。その子が、今日からイタリア語講座が始まるから来ない?と言うので二つ返事で参加することにする。
参加者は私含めて5人。私以外はすべて女性で、誘ってくれた子がオランダ、他にギリシャ、スペイン、ドイツという陣容だ。先生はフランス人の女性だった。そういうわけで男は私一人。先生はイタリア語だけでなくフランス語も教えているそうだ。
先生が何かの教科書のコピーを配ってくれて授業が始まった。まず最初に、「この授業はイタリア語で進めます。わからないことがあったら英語も説明しますから質問してください」と高らかにイタリア語で宣言された。そしてバリバリのイタリア語で授業が始まった。
こういうような語学講座に参加するのは初めてである。おそらく定番なのでしょうが、まず自己紹介から始まった。幸いなことに私が一番最後である。はじめはギリシャ人のDallaさん。はっきり言って何の不自由もなさそうにイタリア語を話す。もう3年イタリアにいるそうだ。何で参加しているのか不思議である。一カ所だけ、前置詞da (英語のfrom)の使い方を直されていた。次はスペイン人のジェンマさんで、これまたペラペラしゃべる。スペイン語とイタリア語はかなり似てるはずだからまあ私よりは習得は楽かもしれない。次のドイツ人のメリアムさんは来て半年らしいがこれまた相当しゃべる。私のヘボ英語よりはうまいだろう。4人目もオランダ人アンナさんも何が不自由なのかわからない。というわけで他4人のレベルはかなり高いことがあっという間に分かった。
最後に私の番が回ってきて、trulloという地区に住んでいること、それはトラステベレから4km南ということを言った。先生はその地名を理解してくれた。そこから自転車で毎日ここまで来てることを言うと、オランダ人アンナさんが「どんだけ遠いのよ!」と食いついてきた。こういう時には奇行がいいつかみになる。それで距離は26キロで、時間は1時間10分かかると言った。すると先生が何でそんな所に住んでるの?と聞いてくれたので、息子の学校に近いからと言った。後は7月に来たこと、宇宙物理の勉強をしてることを言って自己紹介は終了。
今日の授業の内容は冠詞だった。他の4人はこんなのマスターしているんじゃなかろうかと心配になる。しかし私にとってはいろいろ勉強になった。月曜日から金曜日は単複同形だとか、外来語は男性だとか初めて知った。数を数えてと言われて、uno (1)からventi (20)まで数えたら、10が違うと直された。私はdieci (10)をディエーシと言った。なぜなら回りのイタリア人がそう発音していたからである。しかしこれはローマなまりで、通常のイタリア語ではディエーチだいう。なるほど。私もローマ人に近づいていたわけだ。
1時間半で終了。1回25ユーロを5人で割るので一人5ユーロ。これは安い。しかし疲れた。
今日は息子の幼稚園の遠足で、親が参加することになっているのでついて行った。我が家には車が無いので、日本人学校の先生の車に乗せてもらう。
私を乗せてくれた先生は文科省から派遣されており、派遣についての話を聞かせてくれた。派遣されるためには試験に合格する必要があるのだが、どこの国に行くかは合格通知と一緒に来るらしい。その先生の勤務する校長先生に連絡があり、校長先生は「ドーハとか言ってたよ」と聞いたそうだ。ドーハとローマではえらい違いだ。後で聞き間違えたことが分かったらしい。でもその先生はドーハでも良かったとおっしゃっていた。
遠足はローマ郊外の自然公園Castel di guidoで林の中を歩き、ところどころでガイドさんが問題を出す、というスタイルで進行した。「さあここらへんをよく見てください、何か隠されてます!」みたいな感じでイタリア人ガイドが説明して、さりげなく置いてある羊の頭蓋骨を子供が見つける、みたいな感じだった。それらのアイテムは前もって仕込んであるらしい。「ここの砂はなんでこんなさらさらなんでしょうか?」 答えはここが昔海だったから! この砂も仕込んだのか?と親たちの間で話になった。
まあそれはおいておいて子供たちは喜んでいた。こういうプログラムを考えるのも結構大変だと思う。日本人幼稚園の先生に感謝。
今日と明日はEuropean heritage daysとかいう日で、主要な美術館や遺跡の入場料がただ。なので今まで入らなかったコロッセオとパラティーノの丘に行くことにした。
家を出てまずスーパーに行って、息子が昨日作った折り紙の花束をバールのお姉ちゃんにあげる。バールでは何も飲まずそのままバスに乗って地下鉄の駅まで行き、テルミニ駅で乗り換えてA線でとなりの駅まで行った。先日見つけた、9年前に行ったかもしれないレストランを試してみるためである。
店の前まで行った妻の第一印象は「違う」ということだった。でもまあ食べずに帰るのもなんなので昼食をそこで食べる。ズッキーニの花のパスタがおいしかった。ズッキーニの花の味はなんとも書きずらい。なんか中年のオジサンの味である。そろそろ私も突入しているかも知れない。セカンドピアットにはウサギを食べた。結構大きい肉が出てきて、本当にウサギかと疑いたくなった。でも味は明らかに鶏とは違っていたのでウサギなんだろう。いずれにしろここは9年前の店では無いことは分かった。しかしどの料理もおいしかった。
その後コロッセオに入る。コロッセオに入るには12ユーロもするし、また今まで毎日暑かったので遠慮していた。今日はタダ。しかし、以前にも入ったことがあるのでそれほどインパクトは無い。コロッセオは少し遠くから見るのがいい鑑賞法だと思う。
コロッセオを出てパラティーノの丘に登る。通常はコロッセオとの共通券を買わないと入れない。この丘はあたりだった。ローマには7つの由緒正しい丘があって、残り6つはすでに訪問していた。最後のここが一番眺めがいい。視界がかなり広く開けていて、他の丘がよく見える。少なくとも4つの丘は見えた。ここがローマの起源となり、「方形原領域」と呼ばれる周囲2kmの柵が紀元前に作られたのもわかる気がする。
これで7つの丘すべて訪問できたので満足し、スーパーのバールまで帰ったら今朝息子があげた花束が棚に飾ってあった。これはうれしい。ビールを一本飲む。その後、明日ある幼稚園の遠足の買い物をスーパーでする。弁当のおかず、鶏のトマト煮込みをするために鶏肉のぶつ切りを買う。7ユーロもするので高いなあと思いつつ家に帰る。
夕食後、その鶏を使って妻が料理をはじめた途端、これは鶏では無くてウサギじゃないかと妻が詰め寄ってきた。ラップに貼ってあるシールの2単語を辞書で調べると確かに「ウサギぶつ切り」となった。フライパンの中を見ると、脳天から半分に切られたウサギの頭があった。これは間違いなく鶏じゃない。だけど肉は鶏肉なみにかなり大きく、買ったときの見かけは鶏だった。これで昼に食べたものは本当にウサギだったと納得した。鶏を買ってきてと頼んだのに何でウサギを買ってくるのかと妻には責められる。鶏コーナーと同じ所に売ってるんだから間違えるよ。だって日本でもウサギは一羽二羽と数えるぐらいだし、と言ってもあまり説得力は無かった。
こっちに来る直前に散髪にいったきりなので、2か月以上たってしまいかなり髪が伸びた。そこで家族三人で散髪に行くことにし、昨日予約しておいた近所の美容院に行く。
今までも何回か海外散髪体験がある。タイ、ベトナム、スロバキア、あとフィレンツェで散髪した。どれも言葉がしゃべれないので出来上がりはそのたびごと全く違う。今回はどうなるだろうか。
予約した時間に行くと、まず妻が呼ばれて行ってしまった。息子と二人で待っていると次は息子が呼ばれた。若干不安そうな顔をしつつ息子は椅子に座る。泣くんじゃないかと思ったけれどおとなしく髪を切られている。20分弱で妻が終わり、私の番になった。髪型の指定なんかできるわけない(日本でもろくすっぽしない)ので、イタリア語はしゃべれないから今風のでお願いします、と言ったらザクザク切り出した。息子のもみあげが無くなったので、終わった妻が私もそうなるんじゃないかとひそひそ言っている。案の定、私のもみあげはかなりなくなった。来る前はルパン三世なみに髪が伸びていたのが、もう少し切ったらYMO位まで小さくなった。ドライヤーをかけてもらった後の髪型はすこしキノコみたいだった。時間は10分ちょっとで、料金は10ユーロだった。
店を出て交差点に立っている警官のもみあげを見ると確かに短い。これがローマの今風なんだろう。スーパーのバールでデーボラおねえちゃんに妻が聞いたところでもそうらしい。これでローマ人に一歩近づいた。
研究所に行く途中でトゥスコラーナ通りは門を通る。門の左右には壁のようなものがまっすぐ伸びており、城壁の一部かと思っていた。ローマの城壁がなんでこんなところにあるんだろうと前から不思議だった。ここはすでにアウレーリアーヌス帝の城壁からは南にかなり離れたところである。その向きを見ると、ローマから離れる方向に延びている。ということは水道橋かと思い、門に彫られている文句を見返すと、AQVASと書かれていてやっぱり水道橋であることが分かった。地図を見ると、水道橋はその門からかなり南、研究所のわりかし近くまで伸びている。これまでにも何回か橋のような遺跡を見たことがあったが水道橋だったか。
昨日の午後、帰り道に水道橋を見に行った。研究所を出た途端、大粒の雨がバチバチ降ってきた。痛い。こっちに来て初めて雨に降られた。すこし雨宿りをするとやんだので、水道橋に向かう。
水道橋のあたりは巨大な公園になっていた。ここに限らずローマには広大な空き地が多い。特に坂になっている場所は「売出し中」と看板がよく立っている。坂だとアパートが立てづらいから空き地なんだろう。この手の空き地とは別に、遺跡のある場所は広大な原っぱになっている。散策もできるようになっている。ただ、川があってここでは水道橋本体には近づけなかった。
そこで今日の朝は研究所に行く途中、門の手前で道を曲がり、水道橋をさわりに行った。レンガを積み上げて構築してあり、隙間をセメントのようなもので埋めている。セメントの中には石がゴロゴロ混ざっている。現在建築現場で使っているコンクリートと似たようなものだろう。さわるとガチガチに硬い。ちょっとやそっとじゃ削れそうにない。これなら2000年たっても壊れないことが納得できる。
9年前にローマに来たことがあって、その時に行ったレストランに何とか行きたいと思っていた。イタリアのミシュランガイドにあたる、「ガンベロロッソ」というガイドブックを当時買い、その中にあったレストランに行った。とてもやさしい味のするいい料理だった。
その本を今回持ってきたものの、どこで食べたのか印をつけていない。なので住所を頼りにこの二日間ローマ市内を走りまわった。札幌に住んでいた時、札幌市内の銭湯にすべて行ってやろうと思い立って電話帳の住所をもとにぐるぐる走った時と同じようなもんである。しばらく走ると、ローマも区域によってだいぶ雰囲気が違うことが分かる。もちろん、紀元前の遺跡から最近の団地まであるわけで、それだけでも多様性が大きいわけだけど、人が作っている雰囲気も結構違う。日本では断トツに大阪が多様性が高い。ローマは大阪と名古屋の中間位ではないだろうか。
二日走った結果、おそらくここだろうというレストランが見つかった。しかし周囲の雰囲気は記憶とよく似ているものの、店の中を覗くと構造がだいぶ違う。しかしこの9年で改装した可能性もあるのでとにかく一回行ってみる必要があるだろう。
以前同じ研究室でポスドクをしていたK君が昨日ドイツから遊びにきた。昨日はスーパーのバールに連れて行って買い物をし、夜さんざん酒を飲んだ。買った酒は全部飲んでしまった。
今日は10時過ぎに家をでて、まずテルミニ駅近くのホテルにチェックインをしてその後に昼ごはんを食べに行く。自宅を出る前にインターネットで見つけ、電話で予約しておいた。「パスタに対する考えを打ち砕かれる」らしい。そのパスタは縮れ麺で粉チーズが山ほどかかっており、客の目の前でぐるぐる混ぜるとチーズがとろとろになって麺とからむ、というものだった。おいしかったものの、打ち砕かれるほどでもなかった。チーズが大量で胃が重くなった。
K君は腕が真っ白で、暑い暑いと言う。K君のいる所ではずっと長袖で過ごしていたらしい。また、冬にはうつ病が増加するらしく、その単語もあるらしい。同じヨーロッパでもこれだけ違うのか。ゲーテがローマを憧れたのも少しわかる。
近所のスーパーの中のバールに毎日行っている。息子もすっかりバールのおねえちゃんが好きになり、夕方バールで合流するようになった。昨日は晩御飯のおかずが思いつかず、二人いるおねえちゃんの一人ファヴィアーナに昨日の夕食を聞いたらピザと言われてしまった。それを聞いていたおばちゃん客三人が「ビステッカとサラダ」「いや子供にはスープ」とか議論を始めた。その様子を見ていると大阪のおばちゃんとよく似ている。ローマの典型的な料理は何ですか?とおばちゃんに聞くと書くものを持ってこいというのでそこから先は妻にまかせた。しばらく話が続き、結局昨晩はおばちゃんが勧めてくれたアマトリチャーナ(トマト+パンチェッタのパスタ)にした。おばちゃん達が教えてくれたレシピにはローマ名物のカルボナーラもあったのだが、それにはタマネギを入れるらしい。カルボナーラにタマネギを入れるなんて名古屋でしか知らない。だけど三人とも入れると言ったそうなのでマンマのカルボナーラにはタマネギが必須なんだろう。
今日は、揚げ物で使った油の捨て方がわからなかったので捨て方を妻が聞いた。するとあっさり「台所で流す」とのこと。日本では固めるテンプルで固めるんだよと頑張って妻が説明してもあっさり、「他の方法は無い」とのこと。これならもっと揚げ物をやってればよかった。ローマ名物の一つにズッキーニの花のフライがあって、ローマに来た当初はスーパーによく花付きのズッキーニが売っていたものの揚げ物はめんどくさいと躊躇していたのが悔やまれる。
今日は妻がレッスンに行くため(これが今回の主目的)、息子と二人でベネチアビエンナーレの第二会場に行ってきた。こっちは若干遠いために人が少ない。ここにはイタリアパビリオンがあり、イタリアの作家の作品が多数展示されている。よこは中国館で、マトリックスのオープニングのように文字がパラパラ降ってくる画像に囲まれるトンネルがあった。いかんせん息子と一緒なのでゆっくり見ることはできず、トイレに行ったりジュースを買ったりして終わってしまう。
今日の電車でローマまで帰らねばならず、帰る前に息子が鳩にえさをやりたいというのでサンマルコ広場に行く。サンマルコ広場はベネチアの中心の広場である。そこにはなぜか鳩がたくさん群れており、昨日も遊びに来た。観光客がパンなどのえさを鳩にくれてやっている。えさをまくと尋常じゃない数の鳩がやってくる。頭の上に鳩が乗って喜んでいるおじさんがいる。私のリュックにも二羽乗った。日本の公園などに群れている鳩はいなくてもいいくらいだが、サンマルコ広場の鳩はなんだか絵になる。まあベネチアはどこの路地を見てもきれいである。ローマと違って落書きがない。
昨晩ベネチアに到着した。ホテルはリアルト橋の横にあり、駅からは水上バスを使って行くのが楽だ。しかしこのバス料金が高い。一回券が6.5ユーロ、24時間券が18ユーロもする。これは革命的に高い。10年ほど前に来たときはそんな印象はなかったんだが。。ホテルでも料金とは別に宿泊税というのを一人一晩3ユーロとる。ホテルもベネチアの街中は高い。本土側のメストレという地区でもまあまあ高い。レストランも高かった。特にワインが高い。あんまり高いのでワインはグラス一杯にした。おかげで体から日頃の酒が抜けてゆく。
今日はベネチアビエンナーレに行ってきた。万博のように、各国の建物があってそれぞれの国の代表が作品を発表している。アメリカ館がもっとも印象に残った。ビエンナーレ会場に入った途端、きゅるきゅると小鳥が大量に鳴いているような音がするのでそちらに行ってみるとそれがアメリカ館で、館の前におそらく本物の戦車がひっくり返っておいてあり、キャタピラがぐるぐる回っている。きゅるきゅる音の原因はこれだった。回転するキャタピラの上には、スポーツジムでよく見かけるトレッドミルが固定されていて、屈強な男が走っている。なのであたかも回転するキャタピラの上でジョギングしているように見える。こりゃ傑作だ。作品タイトルは Track and Field (2011)で、材料は MK3 tank, motor, treadmill, runners だそうな。
今日の夕方からベネチアに行くことになり、切符を買わなければならない。切符が無ければ駅で買うわけだが、テルミニ駅ではかなり並ぶことになり、相当時間を使ってしまう。自動販売機が並んでいて Fast ticket などと書いてあるけどこっちの方が時間がかかる恐れがあるので使ったことがない。かなり格闘したあげくあきらめた人を何人か見たことがある。
そこで今回はインターネットで買ってみた。これがかなりすぐれものだった。両端の駅と時間を指定すると列車の選択肢が出てくる。好みの便を選んで人数を入力すると切符の値段が出力される。切符にはいくつか種類があって、予約変更可能だとかダメだとかの違いがある。今回は家族割引という選択肢があったので一番安いそれにした。
クレジットカード情報を入れて決済すると、パソコンと携帯に番号が送られてくる。駅では何もせずそのまま列車に乗り、その番号を検札に来た車掌に教えれば完了。これはとてもよくできたシステムだ。窓口で並ばなくていいし、駅で買う場合は割引の情報をこちらから言わないと普通の値段になってしまうが、インターネットならすべての選択肢が表示される。イタリアにしては珍しく効率のよい仕組みである。
新しい洗濯機を早急に用意しないといけない。日本人会のMさんに相談したところ、不動産屋と交渉してくれて送料込300ユーロで見つけてほしい、ということになった。そこで昨日は1軒の電気屋に行ってみたものの、家の台所に入るサイズだと400ユーロになってしまった。そこで本日は研究所に行く前に電気屋めぐりをした。
一軒目は昨日行ったのと同じ系列のEURONICSという電気屋。通勤路の途中にあるので知っていた。値段を聞いてみると、奥行がおさまらないのなら300ユーロ以下だが、入るものになると350だそうだ。しかし昨日よりは安くなった。
二軒目は研究所近くのMedia Worldという所。パソコン関係しかおいていないのかと思いきやそうではなかった。ここでも300は無理で、400はしてしまう。三軒目は二軒目からすぐ近くのカルフール。ここで聞いてもやはり350弱だった。
4軒行って350以下は無い、ということはこれ以上いくら回っても大差ないだろう。改めて宮田さんに相談すると不動産屋に交渉してくれて350でいいということになった。
研究所近くは家からかなり遠いので、帰り道にあるEURONICSで買うことにする。この騒動のおかげでconsegna(配達), installazione(設置), ritirare(引き取る)の単語を覚えた。
毎日飲みすぎたせいでいい加減おなかの調子が悪くなってきた。どうも体がもう酒はいらないと言っている。かなりの葛藤の末、今日一日は酒を飲まずに我慢した。明日は、妻が大学で教えている学生が遊びに来るらしいので、飲んでしまうだろう。
妻と息子の滞在許可申請に念のためついていった。私は自転車で行けたものの、そうはいかないのでバスと地下鉄を乗り継いで警察まで行く。指定の時間は8時半だったが、前回に私がチェックしておいた442番のバスがなかなか来なかったため(というか1時間に一本位しかなかった)20分くらい遅刻した。私の時よりも人がうじゃうじゃいて、8時半指定の人はまだまだたくさんいた。
どの人が先に入れるのかもよくわからない。建物内部に入る前に柵があり、その前に前回と同じように迷彩服の人間が立っていて、そこから3メートル位離れた場所にしきりがあってそこから後ろにうじゃうじゃ人がいる。柵とそのしきりの間には「選ばれた人たち」がいて、その人たちは優先的に中に入っていく。よくわからない。
当然なかなか順番は回ってこない。1時間位たっても変化がなさそうなので、「子供を連れてアピールしてこい」と妻をせっついて迷彩服の兄ちゃんに行かせると、「選ばれた人たち」エリアに入ることができた。そのすぐ後に迷彩服の兄ちゃんが1,2,3、とか言って通常エリアの人間を選抜している。妻はその回には選ばれなかった。
その後少しするとその兄ちゃんが何だかしゃべって、待っている人たちが笑っている。今日はこれまでも何回かこのようなことがあった。待っている人たちからも声があがっている。ここは警察なのになぜか盛り上がっている。
次の回で妻+息子は中に入り(10時20分だった)、予想よりも早く11時前に出てきた。待っていた時に盛り上がっていた状況を妻に聞くと、迷彩服の兄ちゃんは待っていた人たちからcambia la strada! (道を変えろ!)と言われていたらしい。道は変えずにぜひこのまま申請者を笑わせ続けてほしいものだ。
昨日の夜から、二泊三日でMonte Argentarioという江の島のようなところに旅行に来た。江の島という意味は、本土からは細長い陸地でつながっているためだ。江の島は道が一本しか無いがここは三本あるところが違う。また、真ん中の道の中間地点にOrbetelloという街があるところも少し違う。でもとにかく島のようなところに泳ぎに来た。
ホテルから海水浴場までは歩いて行ける。なかば崖のような坂道を下りていくとビーチに着いた。生まれて初めて、パラソルと寝そべれる椅子を23ユーロ出して借りる。看板には18ユーロと書いてあったのでおかしいと言うと、それは海岸にごく近くの砂場に自分でパラソルを立てる場合で、少しだけ離れた芝生エリアにある既存のパラソルを借りる場合は23ユーロらしい。他にももめている一家がいた。その管理人は高田純次に似ていた。
海水浴といっても子供がいるので勝手にザクザク泳げない。おまけに波があってさらに岩も結構あってそれほど海は楽しめない。ただ水はきれいだった。小さい魚が泳いでいるのも見える。すこし遠くにはクルーザーがうじゃうじゃいて、ダイビングをしている人がいる。
息子は寝てしまい、せっかく借りた椅子にゴロゴロして本を読む。インターネットでテルミニ駅近くに外国語書籍を扱っている本屋を見つけたので行ってみたものの日本語の本は無いとあっさり言われしょうがなく買った英語版のダンス・ダンス・ダンス(村上春樹)を読む。初めてみる単語がうじゃうじゃあるものの面白い。
前もって偵察しておいたリストランテに行ってみたものの予約でいっぱいだった。結構ショックを受けて第二候補のリストランテに夕食に行く。しかしここは大正解だった。前菜盛り合わせ30ユーロがどれもおいしい。マグロの薄切りのロールとタコのスープ、魚介サラダ、イカ+エビのフリット。それとパスタを二つ、魚介のタリオリーニ+オルベテッロのカラスミパスタにした。カラスミの方が特においしかった。この土地の味を感じる。イタリアに来てから最もおいしい外食ができた。
朝、名古屋の学生とスカイプで議論していたら「バチバチ」という音がして家の電気がすべて消え、ネットワークも切れた。妻が言うに、コンセントをさそうとしたら火が出た、とのことである。家の中にあるブレーカーを上げようとしてもロックされず下がってしまう。ここの家のコンセントには金属製のカバーがついており、どのカバーもよく外れる。その外れたカバーがコンセントと接触してショートしたらしい。黒く焦げている。なんでこんなものをコンセントにつけておくのかよくわからない。
それから近所の人にいろいろ聞くが結局わからず、電気屋を呼ぶしかなさそうな気配になったところで日本人会のMさんがやってきてくれた。ブレーカーをいったん下げてから上にあげるとめでたく電気がついた。いったん下げるのか。。ちょっと落ち込んでいると、「宇宙物理をやっていると聞いていたのでこの手のことには強かろうと思ってたんだけどね」と言われてしまう。トホホ。こんなしょうもないことに直接来てくれて感謝。
明日に行くと先方には伝えてあったものの、本当に辿り着けるか不安なのとローマの自転車事情が不明なため、今日下見にいくことにした。
時差ボケで朝早くおきてしまうので、6時すぎに家をでる。さすがにまだ車は少ない。走り出してすぐにわかった事は、この国の道路行政に自転車はそれほど考慮されてないということ。それほど多くの国で走ったことがあるわけじゃないけど、気のきいたところだと分岐や合流において自転車レーンが明確にあって、車には「自転車に気を付けろ」という注意書きがあったりする。ここにはそのようなものがまったくないわりに名四国道並みに隣を車が爆走していく。
普段、やふうの地図やGoogle mapなどに慣れすぎていて、今回は紙の地図をもってくるのをすっかり忘れていた。なので自宅と目的地が画面に収まるようにした状態でノートパソコンを持参した。まず始めの目的地はTrestevere駅である。道なりにどんどん進むと駅の横にでた(ここまで書いた段階で昨日買った白ワインが空いた:ローマで一本目)。ここから先はだいぶ記憶が怪しくなる。そのまま進むと橋を渡る。テヴェレ川だ。もう道がわからないので太陽の方向を目安にどんどん進む。昔の門にでた。
ここから先はかなり迷い、記述するのがめんどくさいので書くのはやめる。とにかく二時間弱で研究所の近くの大学エリアについた。大学に近づくとローディーがうじゃうじゃいる。みなさんピチピチのパンツをはいて、上にはロゴがたくさんはいったシャツを着て高そうな自転車に乗ってる。 驚いたのは、いい年で腹のでたオッチャンが8割くらいということ。この国には自転車好きが多いことを実感して感動する。しかし、なぜか男ばかり。女性はまったくいない。100人くらいのローディーを見たと思うけど女性は一人しかいなかった(それもロードレーサーにのっていない)。これはなぜだろう?
丁度二時間で研究所の前についた。その敷地の中に市バスの終点があるのに門がガッシリ閉められている。ということは土日は完全に休みなのか? いやー、かなり遠い。いろいろ道にまよったけど40キロくらい走っている。これを毎日やるのかと思うと少しゲンナリする。
帰りは別の道で中心に向かうことにする。なんだか工事をしてるので見てみると地下鉄C線を作っているらしい。しかしいつできるんだろう? その地下鉄工事ぞいにすすむとトラムの路線になった。なるほどトラムをつぶして地下鉄にするのか。そりゃトラムよりも地下鉄の方が何かと効率はいいだろうけど風情がなくなるよね。名古屋も昔は路面電車がたくさんあったのにすべてなくなった。私が以前住んでいた熱田も昔は走っていたけど今では高架の高速道路になってしまった。京都の三条から浜大津までも路面電車があったけど山科までは地下鉄になってしまった。
道なりにしばらく走ると国鉄の横に出る。そろそろ西に曲がらないといけない。どこの街でもそうですが中心部はとにかく道が分かりずらい。さらに一方通行がローマは多い。これは大阪も京都も同じ。ただ、自分が逆走してるかどうかは大量の路上駐車車両の向きですぐわかる。
バス停にはたまに地図があるのでそれを頼りにうろうろすると朝走った道に出た。ここまでくればあとは楽勝なので、明日行かないといけない税務署も調べに行くことにする。Trestevere駅から北上して少し走ると税務署がある広場にでたものの、今日は市場が立っていて中にはとても入れない。なのでそのまま北上してバチカンまで行ってみた。
バチカン近くのサンタンジェロ城についた。しかしそれほど感動は無い。学部生の時に京都に住んでいた頃を思い出した。京都に住みだしていろいろ有名な寺社仏閣がすぐに目に入るものの、まああるねえ位のもんだった。高校の修学旅行で泊まった旅館を見つけた時の方がよっぽど面白かった。きっとそれと同じだろう。
バチカンの広場まで行ってみるものの、自転車があることもあって中に入る気は全くせずそのまま家に帰る。スーパーによってみると今日は日曜日なのに開いていた。大手のスーパーはこんなもんなんだろうか。ビールを二缶と白ワインを一本買って帰る。スーパーに行く途中であまり注意せず道を渡っていたら初めてブブウとクラクションを鳴らされた。
今日は午前中に水道屋がきてボイラーの説明をしてくれて、また1時ごろに日本人会のMさんに來てもらいいろいろ話を聞く。Mさんにはアパートの仲介などをしてもらいとてもお世話になっている。滞在中これからもなにかとたすけてもらうことがあると思う。今回は本当に多くの人にたすけてもらっている。
必要なものはだいたいそろっているのだけど、トイレットペーパーが無いのに昨晩気が付いた。今朝はさすがにがまんできず、タイで学んだ技術でなんとかした。
というわけでトイレットペーパーと昼御飯の食材を買うためにスーパーを探しにでかける。アパートから少し歩くと広い通りに出た。バス停におばちゃんがいたので近くにスーパーメルカートはないか聞いてみると、ちょっと歩くとgrandeがあって、もう少し近くにpiccoloがあると教えてくれた。始めにどちらに歩き出すかしか理解できなかったので、とりあえずそっちの方角に歩くと道が二つに別れている。眺めるとほぼ同じような距離にそれぞれスーパーらしきものが見える。まずは左のスーパーにいってみた。
conadというスーパーについた。かごをもって中に入ると、まずは下着売場、次に魚屋があった。まあそれほどひどくはなさそう。魚がゲットできることにホッとする。もう少し先にいくとオリーブやアンチョビがうっていた。どれも日本よりはかなり安い。その近くにパスタが売っている。今までいちばん心が踊りました。ディチェコとバリラの様々な種類のパスタがおいてある。こちらに來る前に月間専門料理の広告に載っていたバリラのプロ仕様バージョンがあるかと探したものの見付からない。通常バージョンのスパゲッティーニにする。コンセントをさしても冷藏庫がなぜか動かないので、冷さなくてもいい食材でパスタをつくろうと思い、ミニトマト、黒オリーブ、ルッコラ、サラミを買う。お酒コーナーにはワインが沢山。キャンティクラシコを買う。
コンセントをいろいろいじってると冷藏庫が動き始めた。冷藏庫が動くならビールが欲しいので別のスーパーに賈いにいく。こちらは先程のよりは大分小さい。でも魚コーナーがあった。にいちゃんが何かいってくるので英語話せるかとイタリア語で聞くとunpoと言う。今のところだいたいみんなこう回答する。言う瞬間はすこし申し訳なさそうな顔をするけどその後は普通にイタリア語でしゃべる。こちらの魚はさっきのスーパーよりも鮮度が無さそうだったけど、にいちゃんの愛想がよかったのでタイらしい魚を買う。それと本来の目的のビールを三本とケッパー、あと白ワインを一本かった。
アパートにかえってパスタを作ろうとおもったら、まな板と台所洗剤が無いことに気付いた。今回のパスタはそれほど切る食材はないのでまあいいとする。ミニトマトと黒オリーブとケッパーをにんにくを入れたオリーブオイルでいためてアンチョビを入れて茹でたパスタを投入する。冷凍庫にいれて冷しておいたビールと共に食べる。まあ初めての料理としてはまあまあのでき。冷しておいた白ワインを開ける。2ユーロ少ししかしないのにこれがかなりうまい。酸味と甘味の調和が私好みである。やはり酒は産地の近くで飲むに限る。出国前に禁酒(月ー木)していたのにこれでは水の泡になりそう。
飲んでしまったのでだいぶ行く気が萎えたものの、頑張って台所洗剤をかいにいく。さっきは結構な数の客がいたのにいまは閑散としている。このメリハリがイタリアっぽさを感じる。洗剤とまな板、朝御飯のために卵とモツァレラチーズ、あと今後リゾットを作るために米をかった。
スーパーからの帰りにロードレーサーを乘ってる人(専門用語ではローディー)を見た。自轉車を乘っている人間を初めてみて感動する。とにかくここらは坂が多い。出国前に「ローマは坂が多いんじゃないの?」と何回か聞かれたものの、坂なんてスペイン広場ぐらいじゃないのかと思っていたら本当に坂だらけである。この土地で20キロ以上先の研究所まで毎日自轉車でいくのは可能なのか。。と疑惑がもたげてきた。明日ためしてみよう。
ヤフー路線検索によると、朝5時27分の地下鉄にのると6時ごろに空港につくとのこと。4時半におきた。いつもは遅くまで寝ている妻と子供もめずらしく起きた。バックを背負って自轉車を肩にかけるとかなり重い。あるくのが遅いため、千里中央でモノレールに乗り遅れる。
ANAのカウンターにいってチェックインをする。かなり時間がかかる。自轉車をどうすべきか成田に問い合せをしているらしい。海外にいくときにチェックインカウンターでやたら時間のかかっている人をよくみかける。何にそんなに時間がかかるんだよと心の中で悪態をよくついていたものの、自分がそうなってしまった。結果として、自轉車は150ユーロとられることになった。日本円で17400円。もったいないがまあしょうがない。おまけに、成田からの便が2、3時間遅れるらしい。これは参った。本日中にアパートにいって大家さんから鍵をもらい、さらに日本人学校の職員の方が來てくれることになっている。今までかなりお世話になっており、到着が夜中になるのはなんとも申し訳ない。妻が連絡してくれることになっているので、その結果を成田かチューリヒできくことにしよう。
チューリヒまでは三つ映画をみた。一つめはBattle: Los Angelesという映画で、アリが巨大化したような宇宙人が地球を侵略しに來る映画。ハリウッド映画なので、敵側の大義(ガンダムのジオン軍が地球を攻撃する理由)は全く無く、一方的に攻めてくる敵をただやっつけるという話。二つめはSP(2)という日本映画。主演の岡田准一の動きが凄い。マトリックスばりにアクロバティックな動きをする。三つめは漫才ギャングという邦画。お笑い芸人がたくさんでてきて、これはかなり笑えた。機内でみた映画でこんなに笑ったのは初めてだと思う。宮川大輔の演じるチンピラがかなりよかった。
乗り換えのチューリヒで生ビールを二杯のむ。13.5ユーロだった。かなり高い。
ローマに10時過ぎに着。荷物が出て来るのが遅い。荷物が出始めるとリュックサックはそれほど時間がかからず出て来た。自轉車はでてこない。殆ど皆が荷物を引き取ったころ、大型荷物コーナーにあんちゃんが自轉車をひきずってやってきた。Fragileの貼り紙など全く気にしていない。
手配してもらっていたハイヤーに乗ってアパートについたのは11時半位だった。日本人学校のKさんが迎えに來てくれていて、アパートの説明をしてくれた。今回本当に世話になっている。感謝感謝。インターネットの接続を確認して、1時頃に寝た。
荷物のパックはものの10分で終了.恐れていた自転車のパッキングも30分程度で終わる.これなら大学休む必要なかったかも..
今日で日本酒もしばらく飲めなくなるので,「秋鹿」と晩ご飯の食材を買いに出かける.家から5キロ離れている,いつも買いに行っている「きりもと酒店」は残念ながら定休日.そのためさらに5キロ向こうにある「良本酒店」に行ってみたものの臨時休業との張り紙.きりもと酒店と良本酒店はなぜかいつも同じ日に休む.
しょうがないので市場に食材を買いに行く.がしら(関東ではかさご)が2尾で700円だったので,あさりも買ってアクアパッツァを作ることにした.アクアパッツァに欠かせない黒オリーブはどこか別の店で買う必要がある.
以前にワインを買ったことのある別の酒屋に行ってみたら,やはり秋鹿は無い.店主に聞いてみると,秋鹿は儲けが少ないからここらで取り扱っている酒店は無いという.奈良の酒「百楽門」の中汲,酒米が雄町,があったので今日はこれにしてみる.私は山田錦よりも雄町が好み.山田はすこし華やかすぎる.
スーパーの斜め向かいの行きつけの酒屋で白ヱビスを3本買い,そのさらに斜め向かいの魚屋でまぐろとあわびを買った.これで昼の小宴会の準備ができた.
昨日のあまりでチャーハンをつくり,刺身をつまみながらビールを飲む.日が出ているうちに飲む酒は格別です.百楽門もまあまあで満足.
保育園に子供をむかえに行くまで二時間以上あるので,私のもっとも好きな映画の一つ「赤ひげ」(黒澤明監督)を観る.何回観てもこの作品は素晴らしい.私が理解できる映画はローマで観れるだろうか?
保育園に子供を向かえにいったら,保育園の先生が「今日お父さんは家でイタリアの絵本をみて英語の勉強をしてる」と息子が言っていたと教えてくれた.いや実は酒を飲んでましたとは言えず,ごにょごにょ答えて子供と外にでる.
しばらく会えなくなるので新大阪駅の中の本屋で本を一冊買ってやる.ワインをよく買いに行く,犬がいる酒屋に行ってみると「モルツ」が売っていた.地震の影響でしばらく生産が止まっていた.きりもと酒店には7/12から入荷すると聞いていたのだけれど,今日が定休日なのでモルツはあきらめていた.秋鹿は飲めなかったもののモルツが飲めるのでこれで十分だ.プレミアムモルツとモルツの違いは山田錦と雄町の違いに似ている.プレミアムはすこし華やかすぎるのよね..
もうすこし早くからメモを書くつもりが全くできませんでした。ビザの取得にかかった苦労やここ数週間の間にあった幾つかの宴会についても書く機会を逃しました。今のところ全く荷作りをしていないので、明日は大学を休んで一日荷作りをします。自転車をうまくパックできるかが問題です。
とここまで書いて大学を出ようとおもい,普段使っているパソコンからログアウトしたろころ画面がブラックアウト..再起動してみるもののfsckで止まる..ハードディスクがイカれたかも知れません.なぜ大学を出る直前に? とりあえずCtrl-Cでブートは進み,最後までいったのでこの状態でよしとする.11月の停電がますます恐怖になってきました.