青い沼口敦と歩いた尾瀬−1984年7月17日から19日−

                                         渡邊 誠一郎

大学3年の夏,尾瀬に出かけた.鳩待峠から入り,雨模様の至仏山を登って,
谷川のようになった下山道を泥まみれになって,山ノ鼻におりて初日の宿を
とった.2日目の朝,のんびりと草花の写真を撮りながら,尾瀬ヶ原をブラ
ブラしていると,例のポケットに手先を突っ込んだ姿でタッタッタと早い足
どりで沼口がやって来た.空色地に紫縞のシャツとやや褪せた青いジーンズ,
鮮青のリュックに濃紺の寝袋を括り乗せ,これまた青のスニーカーに,仕上
げは首から下げた薄水色の手ぬぐい... 薄茶色のふくれたショルダーバック
だけが妙なアクセントでゆれている.沼口は遠くまで広がる湿原を吸い込む
ように見返して,ボソッと言った.
「やぁ!」,「早いなぁ」,「ん,そぅおー」

私と沼口は,その春,共に理学部地球物理学科に進学していた.高山植物に
ちょっと興味が出て接写レンズなどを買いこんだ私は,まずは尾瀬と思って
いた.それを沼口に話すと,「いいなあ,俺も行こうかな.」って.結局,
彼に用事があって一日遅れで合流ということになったのである.合流後は,
尾瀬ヶ原から三條ノ滝を過ぎ裏燧を巡って御池に宿り,東北最高峰の燧ヶ岳
を越えて,大江川湿原を散策の後,尾瀬沼でテント泊,沼を廻って白尾山と
アヤメ平を抜けて鳩待峠に戻るちょっと欲張りな行程が続く.急にペースが
上がった.

ワタスゲの咲乱れる裏燧の田代群,人影はずっとまばらだ.次から次にロー
カル鉄道の無人駅よろしく,だが,ひとつひとつ違った表情を見せて佇む.
気に入る景色に出会う度にカメラを構え,花の新しいイメージをみつける毎
に接写レンズをゴソゴソやって慎重にシャッターを押す.そんな私を後に残
して,沼口は田代のど真ん中まで進んで木道に掛け,燧ヶ岳の裾野の広がり
を見渡しながら風を吸い,池塘を覗き込んでフゥーと吐いている.陽光.微
風.細流.やがて,突如,ダーと大声をあげ,立ち上がり,振り向きざまに
右手の甲を向けV(やぁ)をつくる.さあ行くぞの合図だ.「もう,ちょっ
と待って」と言って,チングルマの可憐さをフィルムに収めてようよう顔を
あげると,もう彼の姿はかなたの青い点に.あわててカメラをかかえあたふ
たと追う.御池ロッジに着いた時,辺はすっかり暮れていた.

翌朝は,燧ヶ岳に登った.途中で登路を見失い,雪渓を這い登る.見上げた
印象よりも急な斜面に,うっかりすると滑り落ちそうだ.沼口は,先をガシ
ガシ登っていくが,表情はやはり不安げだ.いよいよ急になり,あきらめて
一旦降りようと言いかけた時,「あれだな」という声.登山道らしき踏跡が
雪渓左の灌木の茂みに空いていた.燧ヶ岳は,奥只見の流れを堰き止め尾瀬
沼や尾瀬ヶ原を造った溶岩流を噴出させた火山だ.火口を挟むようにそびえ
る2つの頂を往復した.ガスがかかっていて,時折雲の切間から眼下の原や
山並が垣間見えるといった天候だった.カメラを狭い岩棚にそっと置いて,
専修大学エーデルワイスの「徹自然」の銘のある山頂標を横に,二人で逆V
(やぁ)のポーズ.

尾瀬沼脇のサイトにテントを張って荷物を置き,大江川湿原を散策しながら
沼山峠まで登る.黄のニッコウキスゲと白のコバイケイソウが咲き誇る湿原
は,笹藪からやがて樹林帯と変った.白馬のおもちゃのようなギンリョウソ
ウが地面から顔を覗かせている.自炊で簡単な夕飯を済ませ,早々に寝袋に
潜り込んだ.1人用テントに無理やり2人だ.風に流れる雲間から夏の銀河
と伝説の主役の星達が見え隠れする.
「尾瀬はいいねえ」
「写真ばっか撮ってないでさぁ,道を歩くことそれ自体を楽しまなきゃ」
「あっ,飛んだ!こと座からはくちょう座ね」
「うん.ちょうどさぁ,木からね,鳥の鳴き声とか飛び立つ羽音とかがさぁ,
突然聴こえてきたような時あるじゃなぃ,あの余韻に似てない,流星って... 
そんな時さぁ,自然と一体感が強くなるじゃなぁぃ」
とりとめない話をして流星を待つうちに,いつしか眠り込んでいった.

翌朝,よく晴れた空の下,沼を巡ってから,白尾山へ登る.バスの時刻を睨
んで疲れ気味の足をひきずってアヤメ平を横切る.タテヤマリンドウの白地
に薄紫の螺旋の入った蕾が揺れる笹の間にひっそり顔を出している.赤とん
ぼが,寂しげな風に乗って飛び交っている.ハトマチ道の笹原を抜け行くと
3日前の朝に降り立った鳩待山荘前の入山口に帰りついた.沼口ペースで,
こちらはもうクタクタ.とりあえずの缶ビールを乾いた喉に流し込み,フー
と一息つくと,ほどなくバスがやって来た.


深夜,メールで知った訃報を,その意味を,何とか納めようともがいている.
写真は,48枚入りのアルバムに5冊分.草花が主で,ところどころの全景の
なかに青い沼口が写っている.私も写っているのは燧ヶ岳山頂の一葉だけ.
もう,17年も経ったのか... こうして尾瀬のアルバムを見るのも何年ぶりか.
ふと思い出し,机の下の段ボール箱から大学時代のサークルの文集を片端か
ら取り出し,沼口の字体を見つけては読んでいく.これだ.『道草』と題さ
れた文章は,1984年10月17日付けだ.その4月に本郷に進学し,駒場卒論号
と名付けられたそのサークル文集の文案をおそらくは尾瀬の旅でも構想して
いたのだろう.大学時代に読んだ時から惹かれる文だったが,改めて味わう
と心がふるえた.

人の死はその幹の端点に過ぎない.沼口の人生の短いが太い幹からは,たく
さんの枝が伸び広がり,彼を知る人々の心の中で分枝を繰り返し,夥しい葉
を茂らせている.枝はこれからも伸び続け,新たな葉をつけるだろう.そし
て17年前に尾瀬に吹いた風もまた,その葉群を揺らし続けるに違いない.