沼口敦さんのお別れ会
2001年7月7日14時15分〜16時30分
北大低温科学研究所講堂
前日の7月6日は,大学関係者に混じって平松さんを始めとする地文研の
人たちも深夜2時頃まで準備をされたそうです.本当にその努力の賜物
といった希有な会だったと思います.会場にはいろいろな時代の沼口の
写真や彼が撮影した花の写真が100枚近く飾られ,COSMOSの『道草』や
研究会や冊子の原稿,事故の翌々日に配られる予定だった授業の資料や
手書きの北海道温泉リストなど,彼の文章がたくさんちりばめられた文
集が配られました.
会場には,地文研の関係者以外にも,親族,大学関係者,気象学界関係
者など正確にはわかりませんが,ざっと200人近い方々が集まっていま
した.会場にはClassic(彼がこよなく愛したというサッポロ北海道限
定販売のビール)が配られ,地文研選曲担当のクラシック(沼口の部屋
のCDプレイヤーに入っていたシベリウスのピアノ曲)が流れていまし
た.
気象学界関係者からは,現在業界で広く使われている気象予報のための
大気大循環モデルの原型を彼が大学院時代から環境研究所時代にかけて
ほとんど独力で仕上げたことなど,希有な能力が紹介されました.また,
観測においても,チベットやシベリアで大陸スケールでの水の移動を追
跡するプロジェクトや,赤道太平洋の島で熱帯擾乱の形成維持における
水蒸気の重要性を明らかにする研究(この時の味のある積乱雲のスケッ
チが上述の文集の裏表紙になっていた)をしていたことなどが紹介され
ました.印象的だったのは,毎日,率先して観測の下準備の肉体労働を
しつつ,ウォッカや高濃度ビールを飲んだくれて過ごしていたという沼
口をみて,シベリアの現地協力者がこいつはドクターではあるまいと思
い込んでいたのだが,帰り際に手渡された名刺に Dr. Numaguchi とあっ
たので"You are a docter!?"驚いたところ "No. I'm a drunkard"と捨
てぜりふしてヘリで発ったというエピソードでした.
武蔵中高時代は大西さん,地文研時代は私,研究室時代は現北大教授で
元地文研の林祥介さんが紹介しました.私は当日,平松から「お前やで」
と申しつけられ,準備もできずお粗末なスピーチで申し訳なかったです
が,彼の書いた『道草』を紹介し,彼の人柄をしのびました.
さらに環境研究所時代,東大気候システム研究センター時代,北大地球
環境科学研究科時代のエピソードが次々と紹介されました.彼が北大の
公募に応募した際に東大から北大への応募動機を問われ,研究環境なん
ぞではなく,「北海道のような環境で是非暮したいと考えている」を第
一理由に挙げた話;観測研究プロジェクトの幹事的な仕事を依頼されて,
「土日を返上すれば時間を作れないことはないが,土日に豊かな自然に
触れることが人生の大きな喜びであり,研究への意欲をかきたてる原動
力になり,さらに自然の美しさすばらしさを将来の世代に何らかの形で
伝えることが私の大切な夢なので,お断りします」などと答えたという
話が印象に残りました.学生にも厳しく優しく接していたようです.
最後に出産直後で参列できない妹さんからの手紙,そしてご両親の言葉
がありました.「星の大好きなお兄ちゃんは七夕に天に昇った」,「敦
は,研究に24時間,山やカヌーに24時間,1日を48時間で過ごしていたか
ら,37×2=74才まで生きたんだと思うしかない」,「6年生のときに,
人の良いところを見つけて,棺桶に入るまでに友人をできるだけたくさ
んつくりなさいと言ったのですが,その通りになりました.ただ,どう
して「棺桶」なんていう言葉を使ってしまったのか悔やまれます」...
...................................................
最後に参列者全員が献花をして,沼口の遺影は花と緑に包まれました.
彼の笑顔が一層輝いたように感じました.
「やがて登山道が急降下をはじめるころ,傾きかけた陽の光を浴びて輝
く新緑の中に文字通り飛びこんでいく時,それは,自然のすばらしさを
心から感じさせられるひとときなのです.」by 沼口 in AERA Mook
本当に悲しかったけど,本当に沼口にふさわしい素晴らしいお別れ会で
した.長谷川さんや平松さんを初めとする皆様,東京でだるま石の会の
会員への連絡などをされた高橋さん,ありがとうございました.