COSMOS 1983 No.9 「駒場祭反省号」

星になれ 〜よぞらのために

ドームにうつれ
二体にひびけ
熱気にそまれ  星たち…


駒場祭。ぼくらの全ての想いがぼくらの小宇宙の中できらめいていた。
ともかくよかった。それまでの困難、失敗、不安そんなちっぽけなものなど吹きとば
してしまうような雰囲気の中でただひたすらそう思った。
プラネタリウムが完璧に動いた、なんてことはおせじにも言えない。とくに僕などの
担当した惑星投映機や架台部周辺電気系統には数多くの爆発があり、もっと時間があ
れば…と思うことも多かった。その点では十分満足とはいえないが、でもやってよ
かったという思いのほうがはるかに大きかった。

 昨年のいわゆる”失敗”を経験したぼくらにとって、今年の”成功”はなにごとに
もかえがたい大きな喜びだった。そう、昨年の”失敗”今年は”成功”。その間にど
んなへだたりがあったのだろう。あの雰囲気の違い、あれは何だったのだろう。その
根本にあるものは?単に”遺産”の多少の問題なのかどうか。はっきりしたことはわ
からない。ひとついえるのは、技術や、時間や、お金以外の何か、おそらく(昨年の
反省でよくいわれたような)人の心の中の問題だったのではないかということであ
る。
 ではその反省は活かされたのか、というとそれははなはだ心もとないといえそう
だ。あのように中途半端で終わってしまった以上、ぼくらで駒祭というもの、プラネ
タリウムというものを問いつめてみる必要があったのではないか。今になってそう思
えてくる。
 惰性で動いていってしまうこと。そればいちばん怖れていたことだった。今年のは
じめに僕がプラネタリウムに反対だと言ったのは、それが頭にあったからというのが
一つの理由だった。もちろんやることになるだろうことはわかっていたけれど。そし
て、その時の雰囲気はある程度惰性で動いている感じがあったと思う。またそのころ
57生のつながりもまた弱かった。
このままではまた失敗をくり返すことになるのではないか…そんな疑念がいつもあっ
た。しかしそれをどうすることもできなかった。これもまた反省すべきことである。
 そんな疑念をよそに、おおむね着々と進行し、今回の成功をみることになった。こ
れもみな、全ての人々の智恵と努力と、何よりもまして僕らのプラネタリウムへの、
この部への想いのたまものだと言いたい。
 昨年指摘されたような各パートの疎外的な独立がなかったわけではない。少なくと
も僕たち惑星パートについてはどうしようもなく壁が存在していたようにみえ、心残
りなことだと思っている。あらかじめ共通のバックグラウンドをもっと大きくしてお
くべきだったと感じるが、しかし、最終的にはみんなの心がひとつになった。僕の心
配は杞憂に終わったようだ。

 ぼくらにとってプラネタリウムとは、駒祭とはなんだったのだろうか。このことは
いずれじっくり話し合ってみたいものである。ここに答えを書くことなどとてもでき
ることではない。では僕個人にとっては?
 そう、初めはプラネタリウムを作ることにあまり乗り気ではなかった。余りにも負
担が、犠牲が大きすぎる。そう感じていた。もっと平常の天文部らしい活動を充実さ
せるべきだと思った。だいたい駒祭にこれほどの力と金と時間をかけるのは異常では
ないかとも。確かに普通に紙書き展示やスライドだけでは面白くない。何か面白いも
の、大きいことをやるというのは魅力的ではあった。二年前、55時代のプラネタリウ
ムを見に来て、その雰囲気に何となくあこがれを感じたのもたしかである。なかなか
割り切れなかった。もちろんやりたくなかったわけではない。プレッシャーだったの
かもしれない。
 それでも日が過ぎ、周りが盛り上がってくる頃、プラネタリウムが自分の中で日増
しに大きくなっていった。気がつくのが少し遅すぎたのかもしれない。もう少し、早
くから本気でとりかかっていれば、と今さらながら思う。そしsて今、駒祭でプラネ
タリウムをやっていなかったら…。
 もしやっていなかったらどうなっていたことだろう。他のことを、例えば観測を熱
心にやっていたとしてはたして今回得られた以上のものを手に入れることができただ
ろうか。とてもそうは思えない。まったく笑い話で3あるが、プラネタリウムをやっ
て本当によかったと思う。なにかみんなで大きなことをすること、なにかをつくるこ
とはやっぱりすばらしい。そして、こんなことが言える僕らは幸せ者だと。

 もう来年はプラネタリウムはやらないほうがいいよ、と何度か58生に言ったと思
う。しかし(勝手にきこえるかもしれないが)これを額面通りに受け取って欲しくな
いと思う。プラネタリウムでもなんでもいいが、やるならやるで、惰性で生半可な気
持ちでやってほしくない。ただそれだけのことである。他ではできないことをやった
ほうがいいに決まっている。そんなことに気がつかなかった僕がバカだった。惰性で
流れていたのは、僕の方だったのだ。
 もし来年もやるというのならば、協力は惜しまない。技術とか何とかいうものは問
題ないと思う。皆のしっかりした想いがあれば更にいいものができると思う。ひとつ
注文をつけるのなら、プラネタリウムを見せるのではなく、プラネタリウムで何を、
どうやって見せるのかということにもう少し力を入れたらどうかと思う。(ソフトの
ことを問題にしているのではありません、念のため)それから何か新しいことも。
(”ご老体”のたわごとです。読み流してくだされ)

 反省することは山ほどある。でもここで書くのはよそう。とりあえずひとつだけ。
僕のわがままから皆様にいろいろご迷惑をおかけしました。ごめんなさい。ありがと
う。

 駒祭が終わって2週間。まだ冷静になれていない。まだまだ…。
何とか生活が元に戻りつつある。しかし昔と何かが違っているはずだ。その新しい何
かを育てていきたい。そう思う。

 はげしく深く、glittering.....                    83/12/05 Niao..