第1回レポート集


目次


廣仁長老

   レシピ -渡邊先生のいじめかた- (か?)

1.「教官と学生」という関係を外から見る

比較惑星形成論のアナロジーで、比較教官-学生関係論を考察する。

 (ex.1) 吉田 - 川田

学生主導。主にサロンで会話?
意思伝達手段は会話。
食事は割と一緒に取る。ゆえに指導以外の時間も多い。

 (ex.2) 山岡 - 相澤

主導型無し。学生から訪問。必然的に会話は教官の部屋。
教官の研究指導は丸投げに近い。良く言えば、人に仕事を回すのが上手い。
普段の食事を一緒にしているところを見たことがない。
指導生を集めた「データ検討会」なるゼミで一括指導。
指導以外の時間は殆んどない ?

 (ex.3) 熊谷 - 戸松・相澤

教官主導。伝達手段は電話、E-mail、直接など。距離を感じさせない。
食事は、がんばれば同時に取ることは可能だが、物理的距離のため同席
して取るのは不可能。

 (ex.4) 渡邊 - 森島

学生主導か ? たぶん学生から訪問。
会話の場所は、教官の部屋かサロンかゼミ室 ?
研究以外の会話は測定不能。

 (ex.5) 平原(和) - 光井

やや教官主導か。どちらからも訪問する。
会話の場所は研究室、サロン、廊下などなど。
研究以外でもカラオケ等の時間有り。

これらの観察から、教官-学生関係を分類するためのいくつかの要素が
見いだせる。

2.「教官-学生関係」を分類するための要素

軸の候補として:

 (a) 主導型                             [教官]-[学生]
 (b) 「会話」の手段・頻度               [E-mail]-[電話]-[直接会話] 
 (c) 「指導」以外で共に過ごす時間の長さ [0]-[∞]
 (d) どの程度雑用を学生にさせるか       [無]-[コピー程度]-[講義の準備も?]
 
等が考えられる。

3. 一般化 / 中庸な「教官-学生関係」とは

個々の「関係」を評価する「軸」が設定できれば、中庸な「関係」は原
点付近と定義するのが妥当と考えられる。
この場合は、(1) 教官・学生のどちらからも訪問する; (2) 会話・連絡
はある程度の頻度でとる; (3) 研究指導の時間以外にもそこそこ一緒に
いる時間がある; となる。

4. <考察> 渡邊先生とその指導生との関係の特徴

訪問は学生側からが多い。教官の方から学生の部屋へはあまり赴かない
というポリシーが推察される。

連絡の頻度は少なめ。意思疏通がうまくいかないポテンシャルが高め。

研究指導・打ち合わせ以外の時間は少ない。
指導生との「対等」な人間関係はあまり指向していないようである。
ただし、指導生以外とは「対等」な人間関係を指向している節がある。

5. <結論>「いじめ」かた

「おらおら、もっと指導生とコミュニケーションを取ってやらんと、学
生がへこむぞー」
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川田せんせ

なべ会原稿

1:一般論

意占める(イジメル;他下一):他人の時間や考えなどを領有すること。
辞書を見ると、こんな単語が載っていることはないが、
いじめる(=苛める)とは語源的に弱いものを虐げることなので、
そのままでは使えない。そこで少し改変。しかし、新たな意味は一般的。


研究を行なうときに、どうすれば楽しくできるかを考える。ここでは
その点を議論の出発とすることにする。ジャイアン的なストレス解消は、
その場しのぎの効果しかないので、慎むべきである。

さて研究をする場合においては、お勉強のフェイズと議論のフェイズがある。
このうち後者はもちろん一人では出来ない。そこで、議論の相手を見つけること
になる。ここで言う議論とは、振り子を揺らし戻しするような、連続した対話
を行なうようなものを指すことにする。ここで、振り子を例えたのはお互いに影響
しつつ対話が行なわれることを指し、連続とは意味ある内容が続くことを示す。

ところで、議論をするときに、相手に応じた議論の組み立て方をする必要があるか
というと、その可能性はほとんど考えないことにする。あるとしたら、
知識に応じた事項を述べるか否か(名詞を知らない人に対して)、あるいは
手加減だということであろうか。後者は明らかに失礼である。…閑話休題…

議論の題材が常には存在するわけではないが、議論しないと良い題材かどうか
分からないときがある。そういうとき、対話ができたらいいなあと思う(とする)。
対話の題材を試しつつ楽しめそうな議論相手がいるとしたら、逃がすすべはない。
ぜひに意占めるべし、ということになる。とくに、議論する内容が
そんなにないときでも、漫談から連続的に議論できるような状況が生じうる。
お勉強モードも(少しは)伴うのである。議論をする装置として、
教材として、生きた思想書として、相手を意占める内容には事欠かないと思う。
(そういえば、相手に対する影響は陽には考えたことがなかったなあ。。。)



2:若い人へ

・対等に渡りあうべし。
  邊幅を飾らず、赤誠をもって接すべし。
  質問一回宿題百問にも屈せず、
  その郎(労)に対して明日があることを知るべし。

・ 佐藤幹夫の言葉:
「朝起きた時に,きょうも一日数学をやるぞと思ってるようでは,
とてもものにならない。数学を考えながら,いつのまにか眠り,
朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない。
どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削っ
てやるようなものなのだ」
注:佐藤幹夫は超関数で有名な数学社。
    黒木玄氏のページ(http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/index-j.html)
    からの引用。

・教官は線形ブラックボックスだと思っても良い
注:そのうち線形でないことやフィードバック機構が付いていることも
    分かるでしょう、という意味。

・バカは3倍勉強しろ。そこにごたくは要らない
注:H大H教授によると、そういうことらしい。ところで、
    3倍勉強すれば何とかなると思うか、せいぜい3倍しか勉強出来ないと思うか、
    そこが勝負の分かれ目である。
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ノアノア

地物講義(木曜2限)レポート

「平原教授をどうやっていじめるか?」

まず考えたのは、どういう種類のいじめ方があるのだろうか、という点です。
1.正々堂々と勝負してみる。
2.先生の知らないor苦手な分野で攻めてみる
     (これは学問に限った話ではありません)。
3.難しい質問をぶつけてみる。

上記の1.で、ひとつだけ思い当たる話があります。研究室の先輩の研究
の結果、今、業界では認知されているある理論は間違っているのではないか、
という話が出てきているそうです。で、私には「普通に考えたらおかしいだ
ろう。」とおっしゃるのですが、こちらの結果にもまだ問題点があるという
理由もあり、「○○さんを敵にまわすのは大変だなあ。」と言っています。
間違っていると思っているのだったら言えばいいじゃないか、と思うのです
が。私には言えるのに何で言えないのだ、と。でもそう言うと、「なかなか
大変 なんだよ。」といわれます(泣)。

2.についてはいくつか考えたのですが、どれもくだらない話ばかりです。一応
列挙しておくと、

a.通常の理論が通用しない世界の話をしてみる。
b.娘さんのことでからかってみる。
c.カラオケに行く(先生はよく高い声がでないと、言い訳をしながら歌うので)。
要はその言い訳に対してつっこむということです。

3.は、たとえば、
・サブダクションでは水はどのような振る舞いをしているのか?
(こんなことを聞いたら「それを考えろと言っているだろう」といわれそうです
が)

と、いくつか考えてみましたが、どれもあまり得策ではないです。
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青木青年

教官のいじめ方

私のターゲットは山本哲生先生です。
私は、いじめ方にはどの教官に対しても共通する戦略があると考えました.
それは
  1.自分の狭い専門分野では負けないこと
  2.教官とスタート地点が同じ分野は負けないこと
1ですが、サイエンス一般において、知識と経験で私が山本先生に
勝てっこありません.
ですから、私の場合、狭い範囲ですが研究対象としているプレソーラー粒子
に対してだけでも、もっといえば SiC 粒子に対してだけでも山本先生を凌駕し
ないと、対等になれません.
2ですが、計算機についてです。計算機の利用歴は山本先生のほうがずっと長い
ですが、既に私のほうが詳しいこともかなりあります。計算機に関しては
対等になっています。
以上をまとめると、自分の強みを作って相手の弱みを突く、ということです。
強みとなっている分野で追いつかれるとまた逆戻りです。
強みを増やしていくことが必修という作戦になります。
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マリア様

お題 「指導教官のいじめ方」

★★★その1

例えばセミナー中。
平原先生は4回生に向って「発言、質問どんどんせい、つっかかりながら行こう」
と言う。しかし実際誰かが質問すると、「ただこれをこうこう(専門用語)してい
るだけなんだよ。ナントカ理論ではこうなんだ。こういうのもあるけど、、、」と
自分の中からしか説明しない。
そんな時に、、
「質問し、それに答えるということは相互作用だ。あなたの一人ごとを聞いている
のではない。自分(の知識)を相対化し、相手にわかるように伝えるのが筋なので
はないでしょうか」とまず切り出し、その後先週の渡辺先生の授業「外から見る」
の録音テープを子守り歌のごとく流し続ける。彼が「こんなことも知らないのか」
と反論してこようものなら録音テープ中の「あなたの方が年くってんだからあなた
が知ってて私が知らないのは当たり前だ」という部分をラップのように反復して聞
かせる。

★★★その2
平原先生とお話をしていると、「足元をすかされる」(全く関係のないことをいっ
て、一人で突っ込んで自己完結し、そこでその本題を終わらせようとする)ことが
よくある。さらに他人からの追随を許さんばかりに独り言をしゃべりつづける。サ
ロンではいつも何かぶつぶつ言っている。これはコミュニケーションの拒否、引い
ては自己表示(自己をさらけ出すこと)の拒否である。そんな時私はいつも適当に
笑ってごまかすか、半分聞いていないのだが、いつか
「こわがらなくてもいいよ★」
とマリア様のような笑顔で言ってあげたい。
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タカハシくん

渡邊 誠一郎のいじめ方

「WHAT’S IJIMERU?」

これを手にした勇者達にまず注意しておこう。「いじめる」とは何か?定義はと
もかく、一般的には「肉体的、精神的苦痛を与えること」であろう。

「腕力なら負けない」、、、そう思った者も大勢いるかもしれない。実際、その
可能性は低くはないだろう。過去にはそういう勇者もいたようだが、後々トラウ
マになるような攻撃を加えた者を、私は一人しか知らない。しかも、これには大
きなリスクを伴うことは言うまでもない。それでもなお、腕力で倒そうとする者
がいたとしたら、この先を読む必要はない。健闘を祈る。

では、どうやっていじめればいいのか?これには、後に書いた精神的苦痛を採用
する。肉体的苦痛が精神的苦痛を生むこともあるだろう。しかし先にも述べた
が、これには大きなリスクを背負うことになる。ここでは、物理的攻撃を用いず
相手にダメージを与えねばならない事を強調しておこう。

具体的な話をしよう。その前に、もう一度彼の顔を見て欲しい、、、、、、、

あの自信に満ちあふれた顔!!!「どっからでもかかってこいやあ!!」ってい
うのを顔にしたらああなります。我々の目的は、あの顔を焦りで埋め尽くすこと
にある!ここで「$いじめる \equiv 焦らせる$」と定義しよう。彼自身が言ってい
た事だが、彼は我々よりかなり年を取っている、つまり、我々の方が若い。これ
だけは誰もが始めから持っている武器であり、我々は彼の背後から襲い掛かるこ
とができるのだ。追われる恐怖を存分に味わわせてやろうではないか!

「STRATEGY」

ここからは具体的な戦略について述べよう。しかし、慌ててはいけない。若いと
いうことが武器であるのは確かだが、「年の功」という言葉もある通り、年輩の
人間には手ごわい相手が多いのだ。

以下に彼と戦う為の戦略のポイントを3つ述べる。読めば分かるとおり非常に簡
単である。しかし、これを念頭に置いて日々を過ごすと、いつかは必ず勝てる
(はず)のだ。

1.[決して気後れしてはならない]
実は、彼の自信満々の表情は自分を実体以上に強く大きく見せることを目的とし
       ている。本当は自信がないことでも、あの表情で無理矢理乗り切ろうと
       しているのだ。騙されてはいけない、ほんの少し現れた焦り
       を見逃さない目を養うのだ。

2.[彼の興味ある事柄で討て!]
サッカーが得意、野球が得意、ボーリングが得意、そういう者もいるだろう。し
かし、彼が興味を示さない事柄では、彼に焦りを生ませる事は出来ない。よく注
意して、負けると悔しがるだろうなというものを見つけるのだ!

3.[努力してる姿は見せるな!]
教官に認められたいというのは恐らくほとんどの人間が思うだろう。
しかし、それに気付かれ、同じ本でも読まれてはどうしようもない。
密かに実力を蓄えたのち、奇襲あるのみである。

MISSION START!

もうおわかりだと思うが、以上はほぼ正攻法である。奇襲といえども、なにも夜
中の二時にたたき起こして戦いを挑むのではない。日々の鍛練を怠らず、自らを
高めてゆくことで、倒す(焦らせる)のである。その方がこちらも気分がいい。
何度も言うが、敵は手ごわい!!!だからこそ倒し甲斐があるのだ。
諸君らの健闘をいのる。 

ここを参照

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福井やん

2001年度地物講義宿題
「山本おじさんのいじめ方」    
1.はじめに
山本哲夫先生を語るにあたって、先生を特徴づけるキーワードをいくつか挙げて
みる。
  作法  例:板書の作法がなっとらん!
  教育的 例:(教科書の誤植について)教育的や。
2.分析と対抗策
まず、作法について。山本先生は式の書き方、図の書き方にこだわりをみせる。
もちろん見やすい板書は相手の理解を助けるし、手計算のときにも作法を重視し
て書くと、ミスが少ない。またきれいな図はイメージを捕らえやすく、理解の助
けとなる。ここで私が言いたいのは、作法などいらないと言う事ではない。むし
ろ私も作法は重視するほうである。
(図に関してはそうでもなかったが)言いたいのは、もっと基本的なこと。「作
法を大事にしろと言うが、先生の板書は作法に沿っているのか?」先生自身の作
法には乗っ取っているかもしれないが、私には見づらい…
つぎに、山本先生は事あるごとに教育的という。確かに教科書をじっくり読まな
ければ、誤植には気づかない。またざっと教科書を読むと、理解したようで実は
全く理解してないといったことは、私自身学部時代を通して痛感している。こう
いった意味で、教育的な教科書というのは価値がある。この点においては私も納
得できるが、「教育的ということによって誤魔化してることもありませんか?」
しかし、この点を追求するには自分自身反省しなければならないのである。それ
は、自分が納得できないことや、解らない事などを放置していなかったのではな
かろうか?という事だ。よってこのいじめ方は、私が疑問に思ったことを真面目
に考えて、それでも疑問に思うことを先生に尋ねる時初めてできるいじめ方であ
ると感じた。
以上、山本おじさんへの挑み方を考察してみたが、自分自身を日々鍛え上げるこ
とが大切だなぁと痛感させられたのであった。
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