メモ:「環境教育」から持続性教育へ

 

高野雅夫

 

1.はじめに

 

 名古屋に拠点をおく環境NPO、教育NPOと名古屋大学環境学研究科有志が中心となって、この地域における新しい環境教育のプラットホームとして「エコプラットホーム東海」(EPT)が設立されようとしている。この事業は、この地域で環境教育をすすめるために、どうしても克服すべき課題はなにかを議論する中で、環境教育の需要側(学校や地域、行政、企業)と供給側(NPO、市民)をつなぐ仕組みづくりをすること、および、これまで行われてきた環境教育に欠けている要素を補強するような新たなプログラムを開発し、それを実践できる人材を育成することを目標としている。

 EPT立ち上げのための議論の中では、これまでの環境教育プログラムにおいてあまり重視されてこなかった「持続性の教育」の必要性が指摘されている。このメモは、「持続性の教育」のプログラムを開発するにあたって、その理念をつくりあげるためのたたき台としたい。

 

2.「環境問題」から持続性問題へ

 

*環境問題=環境汚染・破壊問題という認識

 我が国においては、環境問題とはまず環境汚染問題からスタートした。産業革命から高度経済成長における産業化の過程において、局地的な水質汚染、大気汚染による激甚な健康被害を克服することが第一の課題であった。70年代に四大公害裁判を画期として局地的な健康被害をもたらす公害は克服されていった。その一方で、自動車の排気ガスによる大気汚染や、ダイオキシンをはじめとする各種化学物質による土壌汚染は現在にいたるまで克服されておらず、さらに食品添加物や農薬による食品の安全性の問題や環境ホルモンによる汚染については近年ますます深刻な問題としてとらえられてきている。

 次に環境問題に付け加わったのはゴミ問題である。大量消費社会=大量廃棄社会が吐き出すゴミをどこでどう処分するのか。ゴミ処分場は典型的なNIMBY問題(Not In My Backyard:必要性はわかるが身近に来られては困る)としてたちあらわれ、不法投棄が絶えない産業廃棄物とあわせて、処分場からの汚染物質の放出・漏洩による環境汚染が問題とされてきた。この問題にとりくむ中からリサイクルの制度化と循環型社会の理念がうまれ、その実現が課題とされるようになった。

 さらに70年代から加速した地域開発によって自然の生態系が破壊されるという環境破壊問題が環境問題に付け加わった。「開発か自然保護か」という対立軸が環境問題のひとつの柱となり、環境アセスメントの制度化が行われ、これが実質的に機能するようにすることが現下の課題となっている。

 日本における環境問題とはこのような「環境汚染問題」と「環境破壊問題」として認識されているといっていいのではないだろうか。今日多くの人々の関心を呼んでいる「地球環境問題」も二酸化炭素やフロン類という廃棄物による環境汚染問題としてとらえるとたいへんわかりやすく、そのような認識が一般的であろう。

 このような認識に対応して、日本における環境教育は「美しく魅力的な自然を認識しそれを守る意識を育む」ことを目標とする自然体験型のプログラムが主流になっている1)と思われる。

 

*環境問題=持続性問題という認識

 しかしながら、世界全体を見渡したとき、また世界の中の日本を考えるとき、環境問題の認識は環境汚染・破壊問題にとどまらない。「持続可能性」の問題を最初に本格的に提起したのは1972年にだされた『成長の限界』2)であろう。再生できない地下資源を採取し、それは最終的には廃棄物=汚染物質として地上に蓄積するシステムはいずれ立ち行かなくなる。さらにそのスピードが指数関数的に増大する成長型社会のシステムは破局的な結末を迎えるということを指摘した。70年代は二回の石油危機によって地下資源の限界を強く意識した時代である。大論争を巻き起こした『成長の限界』の問題提起を受け継ぎ、これに応える形で『ソフトエネルギーパス』3)『ファクター10』4)『ファクター4』5)『自然資本の経済』6)という一種の技術楽観主義の系譜が生まれる。

 一方、地下資源に深く依存できたのは先進国のみであって、『成長の限界』は深刻な環境問題に直面している発展途上国の現実を表現したものではなかった。発展途上国では、人口の増加にともなって必要な食糧や燃料を確保するために森林を開墾しすぎたり、家畜を増やしすぎたりすることによって、かえって深刻な生態系の破壊が進行し、森林の減少と砂漠化が進行して人々はさらに貧困になり、場合によっては土地を巡って内戦や戦争が発生してさらに環境破壊がすすむという悲惨なスパイラルが進行している7)。人口が増える限り何らかのかたちの「開発」を行わざるを得ない。ここで「自然保護」や「環境保全」をとれば、それとひきかえにされるのは住民の貧困であるという深刻な問題が存在する。この現実の中から「持続可能な開発」という理念が提起された8)。この理念は1992年のリオ・サミットで世界共通の目標として宣言される。

 この理念がもっとも具体化されたのはヨーロッパであった。北欧を中心に、リオ・サミットに呼応して、コミュニティレベルでローカルアジェンダ21が制定され、風力発電などソフト技術を社会の中に実現する形で持続可能な社会づくりがすすんでいる9)。地球温暖化問題への取り組みも環境汚染問題というよりは、二酸化炭素を排出しつづける社会は持続不可能であるという認識のもとに対策がとられていると思われる。

 発展途上国では依然として「持続不可能な開発」が主流であり、最貧国はますます貧しくなり、中国を典型とする経済発展を遂げつつある国は、かつて先進国が味わった公害の苦しみの跡をなぞりながら、地下資源に依存する成長型社会をめざして突っ走っている。森林は伐採されつくされ、それまで厳冬にも暖房のすべがなかった中国の人々が石炭による暖房を手に入れた現在、石炭の利用を制限する論理はにわかには成り立たない。

 アメリカはWTOを通じてグローバリゼーションという名の「アメリカ市場の世界への拡大」を世界に強要している。世界最大の産油国であるにもかかわらず、世界最大の原油輸入国である石油づけの社会で、土地と水資源を疲弊させながら過剰に生産される農産物を世界のすみずみにまで売り込むことで、持続不可能性まで輸出しようとしている。ヨハネスブルクサミットにおいて、重要な対立軸はもはや「開発か環境対策か」ではなく、「WTOか環境対策か」であった10)。

 日本においては「持続可能な開発」の理念はほとんど理解されていないと思われる。ヨハネスブルクサミットも、直訳すれば「持続可能な開発のためのサミット」であるにもかかわらず、日本における報道においては「環境サミット」であった。発展途上国のようにさしせまった持続可能性の危機に直面してこなかったこと、北欧のような合理的で民主的な社会の合意形成の仕組みをもっていないことがその理由かもしれない。

 

3.四つの危機のリスク

 しかしながら、日本はこれから10年から20年の時間スケールで以下のような本格的な持続不可能性の危機に直面するリスクが高まると考えられる。

 

*廃棄物危機のリスク

 藤前干潟の保護問題は、自然保護に対置されるものがかつてのような「開発」ではなくて、行政が集める一般廃棄物の最終処分場であったことが、日本における環境問題が新たな時代に入ったことを認識させる。ゴミで貴重な自然の残る干潟を埋めるというばかげた事態を考えなければならないところまで、大量廃棄型社会のシステムは追い込まれたというわけである。現在の最終処分場はあと7〜8年しかもたない。次の処分場が確保されるあてはなく、名古屋市がごみ収集を停止すれば都市の機能は停止する。これが廃棄物危機のリスクである。合理的な解は埋め立て処分をしなければならないものを排出しない社会にするしかなく、これは物質の利用について持続可能な社会=循環型社会をつくることを意味する。残された時間はあまりにも短いものの、トヨタ自動車のように工場からでる埋め立て廃棄物ゼロを達成し、さらに焼却廃棄物をゼロにする取り組みをすすめている例もある11)。やればできるし、やらなければ持続不可能性に直面することになる。

 

*食糧危機のリスク

 20世紀の後半の50年間、世界の人口は爆発的に増加したが、それが可能だったのは人口増大のペースをうわまわって食糧が増産されたからである。それは耕地面積の増大ではなく、灌漑と化学肥料・農薬の多投、機械化による「緑の革命」による単収の増加によってもたらされた。しかしながら、無理な灌漑による塩害、砂漠化、土壌流出や土地の疲弊によって耕地面積は減少傾向にあり、さらに単収の伸びも止まってきた。石油と化学肥料という地下資源に依存した農業の限界である。一方で人口は依然として増大しつつあり、これまで順調に伸びてきた世界の一人当り穀物生産量は頭打ちから減少傾向に向かっている。この50年間は基本的には世界市場で農産物は過剰であり、価格は安く抑えられてきたが、これからはその余裕がなくなっていくのは確実であろう。1973年のアメリカの大豆不作、1993年の日本における米不作のように、不作はある年突然やってくる。ちょっとした異常気象による不作が深刻な食糧危機に発展するリスクが増大していく。

 そのような中、日本の食糧自給率は一貫して低下し、エネルギー自給率40%、穀物自給率は20%である。1970年代初頭にはエネルギー自給率60%前後で日本とならんでいたヨーロッパ諸国がEC共通農業政策のもとで一貫して自給率を上昇させてきたのとは対象的である。現在の日本の供給熱量2600kcal/人・日に対して、現在国内で生産されている分は1100kcal/人・日にすぎず、農水省は仮に輸入が途絶した場合に、エネルギー確保に最大限努力したとしても得られるのは1760kcal/人・日と試算している12)。この数字は1946年の都市のレベルであり、深刻な飢餓状態が心配される。

 日本においては農業で生計をたてるのが困難なため後継者が育たず、戦後の日本農業は昭和ひとけた世代が担ってきた。この世代はあと10年以内に引退し、このままでは大規模に耕作放棄地が発生すると予想される。またごく少数の大規模経営農家も農産物輸入自由化による価格低下の影響をもろに受けて、経営放棄される農地がでてくる危険性が高い。日本社会はグローバルな食糧危機のリスクに対してあまりに無防備である。

 もちろん、食糧危機がくれば農産物価格は上昇し農業は活性化する。しかしながら、それでは間に合わないであろう。市場価格が安いままでも農作を維持・拡大し、いざというときにはそこそこの自給ができる体制をつくることが急務であろう。国際市場に安価な穀物を大量に供給しているのは、アメリカ農業を典型とする大規模機械化・化学化農業である。これは大量にエネルギーを使い、地下水と土壌を消耗させることによって早晩立ち行かなくなる農法であり、これに食糧を依存しているところに日本の食糧供給の根本的な問題がある。化学肥料や農薬、石油に過度に依存しない持続可能な農業を拡大しながら、自給的農作や産地調達など市場を介さない食糧生産・流通の仕組みをつくる必要がある。

 

*エネルギー危機のリスク

 60年代の日本の高度経済成長は、安価な中東の石油が利用できるようになってはじめて可能となったという側面がある。この時代に爆発的に増大したエネルギー消費はほとんどが石油が担っていた。その後、二回のオイルショックをへて石油消費の伸びは止まり、拡大するエネルギー消費は天然ガスと原子力が担うようになってきたが、現在でも日本は一次エネルギー供給の半分を石油に依存した社会である。

 原油供給の展望については、この先10年から20年で頭打ちになりその後供給量は減退する可能性が高い13)。大規模な油田の発見は終わり、北海油田を先頭に枯渇の時期を迎え始める。すぐに石油がなくなるわけではないが、このままいけば需給のバランスが逆転し、原油価格はかなり高騰すると予想されている。1980年代後半からきわめて安かった原油は1999年から高騰に転じた。今後、原油価格は高くなったり安くなったりの不安定さを増しながら、じわじわと上昇していくであろう。

 1999年の高騰の際にはヨーロッパやアメリカでは運輸業者を中心に大規模な抗議行動が起こった。日本においては、石油業界の再編によるコストダウンでこれを切り抜けて、最終的な燃料価格はそれほど上昇しなかったため、そのメッセージが正確に社会に伝わっていないと思われる。このまま世界の需要が伸びて供給能力が低下すれば、価格が上昇するだけではなく、どんなにお金を積んでも必要な者すべてには行き渡らなくなる。過去二回の石油ショックをはるかに上回る規模のショックが発生するリスクがある。すでに世界は残った原油を確保するために戦争まで辞さない状況になっている。

 次なる石油ショックを回避するには、石油の需要を下げるしか方法はない。つなぎとしては石油を利用していたものを天然ガスに置き換えることが必要であろう。例えば日本の電力生産は石油火力への依存度を10%以下に落として、天然ガス火力と原子力が大半を担っている。現在のように原子力発電所のかなりの数が止まっている状況(中部電力の原子炉はすべて停止中)で停電することなく天然ガスへの依存度がさらに上昇している。さらに、建物の断熱化やコジェネ、地中熱利用など熱の利用を合理化することと、車社会からの脱却をはかって少エネ社会をつくり、バイオマスや太陽光、風力など持続可能なエネルギーの利用にシフトしていく必要がある。これらは「国産」のエネルギーである。

 また、現在の食糧生産は大量の石油を利用することで成り立っている。エネルギー危機は食糧危機につながるリスクが高い。エネルギー・食糧危機のリスクを考えるべきで、エネルギーの面からも食糧生産を持続可能なものにしていく必要がある。

 

*財政・経済危機のリスク

 日本においては、石油ショック以降、高度成長の条件が消滅した段階でさらに経済成長をすすめるために、国債を大量に発行して公共土木事業を大々的に行ってきた。これらの事業は成長型社会のための基盤整備であり、それ自体が生態系を破壊し日本における持続不可能性を増す要因になってきた。さらにそのために累積した財政赤字は国と地方を含めて現在GDPの1.3倍に達し、返済不可能な領域に突入している14)。また高度成長をもたらした加工貿易による工業の成長という図式がなりたたなくなり、工業は急速に空洞化しつつある。(民間貯蓄―民間投資)―財政赤字=貿易収支というマクロ経済の法則からすれば、このまま財政赤字の累積と産業空洞化がすすめば、貿易収支は赤字となる。その時に海外からの投資がなければ財政は立ち行かなくなる。また高騰した原油や食糧を輸入することもままならなくなる。アメリカが世界最大の債権国から世界最大の債務国に転落するのに5年とかからなかった。アメリカにかわって世界最大の債権国となった日本がアメリカの轍を踏まないと考える根拠は特に見当たらない。一方、アメリカは世界最大の産油国であり食糧生産国である。エネルギーも食糧も自給できないまま貿易赤字国になった日本に世界は投資するだろうか。

 この問題は持続性問題という範疇には入らないローカルな問題であるが、日本においては10年という時間スケールでエネルギー・食糧危機のリスクを増大させるという意味でとても重要である。

 

*「持続性の開発」が課題

 深刻なエネルギー・食糧危機を体験した国が二つある。キューバと北朝鮮である。ソ連崩壊にともなって東側諸国から輸入していた石油や化学肥料、農薬、機械が途絶した。これに対してキューバは国をあげて有機農業と都市農業を推進し、この危機を克服した15)。すでに70年代から近代的な農業の限界に気づいて有機農法の研究を地道に進めていたことが力になった。今では担い手政策や流通システムの改革もあって、品目によってはかつての食糧生産量をうわまわっている。一方、北朝鮮は深刻な食糧不足状態が続いていると伝えられる。

 10年から20年後に日本は第二のキューバであるのか、それとも第二の北朝鮮であるのか。そのために何かできる時間は相当に限られている。これに備えることは危機管理であるが、同時に持続可能な社会をつくることでそれは達成される。持続不可能な社会の仕組みを変革して「持続性を開発」することが求められている。

 

3.持続性の開発にとっての教育の意義

 

 持続性の開発とは具体的にはそのような技術の開発とそれを社会の中に実現する仕組みづくり、およびそれらを通じた人々のライフスタイルの変革である。これにあたっては、持続可能な社会をつくるという目標を社会全体の共通目標として設定にすることについての人々の合意を形成する必要がある。ここに「卵とにわとり」問題がある。人々の意識が変わことで合意形成ができるのか、共通目標として設定することによって人々の意識を変えるのか。

 こどもたちへの教育の中で持続性についての理解を深めてもらうことは、人々の意識が変わることで合意形成をはかる道筋であり、即効性は期待できない。しかしながら、例えば、日本人の食生活が洋食化したきっかけは、戦後のアメリカからの援助食糧によるこどもたちへの給食であった。余剰農作物が生じ始めたアメリカはきわめて的確な営業活動を行ったのである。パン食に慣れたこどもたちが大人になることで洋食が定着し、以後、米の需要は減退し、現在のような米作りでは生計が成り立たない農業と、食糧自給率の低下を招くことになる。こどもたちに持続性問題への理解を深めてもらうことは、彼らが成長するにつれ、より根本的な社会の変革をもたらすであろう。時間スケールが10年から20年の問題であれば、今はじめればぎりぎり間に合うかもしれない。少なくとも地道にはじめておくことに重要な意味があろう。

 しかしながら注意すべきは、社会と教育の間にも「卵とにわとり」問題が横たわっている、ということである。教育は社会の鏡である。社会の要請にしたがって教育は形作られる。教育がかわることで社会が変わるのか、社会が変わることで教育が変わるのか。結局、社会の変化の方向のベクトルと教育の変化の方向のベクトルが一致した場合にのみ、社会と教育の変化の双方が相乗効果をもってそれぞれが変わっていく、という事態しか想定できない。戦後の教育が教育基本法を持ち、その精神の実現を理念にかかげる教職員組合を持ちながら、また、国としては愛国心教育を徹底しようとしながら、全体としては、どちらの理念も重要な意味をもたず、学校教育が受験競争を通じて成長型社会の構成員として従順で勤勉な勤労者をつくる堅固なシステムとなっていったのはそのためではなかろうか。

 日本における成長型社会の枠組みが崩壊しつつある現在、おとなたちは、将来に対する不安にさいなまれている。一方、こどもたちは、おもしろくもない教科を「将来のために」とがまんしてサラリーマンのように勤勉にこなさなければならない理由を見出すことは困難となってきている。

 社会も教育も確実に変化が必要と多くの人が感じている。しかしながらその方向性は漠として見えない。ここでそのベクトルを「持続性の開発」に向けて少しだけ舵をきることができれば、相乗作用によってますます社会においても教育においても目標が明確になる、という事態を期待したいし、そのために努力したい。

 

4.持続性教育とは

 

 従来型の自然体験を主とする環境教育は、持続性教育にとってもその基盤となる。持続可能な社会とは生態系の中で生きる、ということが実感できる社会のはずであり、「センスオブワンダー」のセンスがその基礎となる。

 さらにその上に、少なくとも以下のような教育目標が必要だろう。

1)【日常の非日常性の理解】現在の日常生活が、とんでもなく複雑で非日常的な地球全体にひろがる自然と社会の仕組みからなりたっていることに気づくこと。

2)【持続不可能性の理解】その仕組みは持続不可能であることに体験的に気づくこと。

3)【生態系の意味の理解】生態系がさまざまな富をもたらしてくれて安心できる存在であることを体験的に理解すること。

4)【創造性の発揮】どうすれば持続可能な仕組みをつくることができるか、自らの力で考えて試みることができ、それは創造的でおもしろいことであると気づくこと。

5)【意思決定能力】持続性の開発の道筋は多様であることを前提に、意見を統一するのではなく、対話しながら創造的に合意できる範囲を見極めて、集団の意思決定を行う力を身につけること。

6)【自己表現能力】自分の考えや集団の意思決定のプロセスと結果を説得的に美しく表現する力を身につけること。

 今日、総合的な学習の時間などが新設されるにあたって、「生きる力」を身につけることが教育目標に掲げられるようになった。しかし何が「生きる力」なのか、想像するのは難しい。持続性教育は「未来を選択する力」を身につけることによって、大人になったときに現実に食べ、エネルギーを利用して生きる力を社会全体で構築することを可能にするための教育である。

 

参考文献

 

1)例えば(社)日本環境教育フォーラム編著『日本型環境教育の提案』小学館、2000.

2)D.H.メドウズ、D.L.メドウズ、J.ランダース、W.W.ベアランズ3世『成長の限界−ローマクラブ「人類の危機」レポート』ダイヤモンド社、1972.D.H.メドウズ、D.L.メドウズ、J.ランダース『限界を超えて−生きるための選択』ダイヤモンド社、1992.

3)E.ロビンス『ソフト・エネルギー・パス−永続的平和への道』時事通信社、1979.

4)フリードリヒ シュミット‐ブレーク『ファクター10―エコ効率革命を実現する』シュプリンガーフェアラーク東京、1997.

5)E.U.フォン・ワイツゼッカー、E.B.ロビンス、L.H.ロビンス『ファクター4−豊かさを2倍に、資源消費を半分に』省エネルギーセンター、1995.

6)P.ホーケン、E.B.ロビンス、L.H.ロビンス『自然資本の経済』日経新聞社、2001.

7)例えば、石 弘之『地球環境報告U』岩波新書、1998.

8)環境と開発に関する世界委員会『地球の未来を守るために』ベネッセ、1987.

9)例えば、飯田哲也『北欧のエネルギーデモクラシー』新評論、2000.

10)http://www.foejapan.org/climate/doc/mag_020831.html

11)(株)トヨタ自動車環境報告書2001年度版http://www.toyota.co.jp/envrep01/mokuji/index.html

12)食料・農業・農村基本問題調査会食料部会提出資料(平成10年6月)

http://www.maff.go.jp/soshiki/kambou/kikaku/chousakai/syokuryoubukai/9kaisiryou/9f5-index.html

13)例えば、OECD/IEA編『2020年世界のエネルギー展望』、1998.

14)金子勝『日本再生論−<市場>対<政府>を超えて』NHKブックス、2000.

15)吉田太郎『有機農業が国を変えた−小さなキューバの大きな実験』コモンズ、2002.