ケネス・L・ロビンソン 『合衆国農業・食糧政策の展開と成果』農産漁村文化協会1990年

Kenneth L. Robinson, "Farm and Food Polices and Their Consequneces", Prentice-Hall, Inc. 1989.


この本は20世紀アメリカの農業政策の全体像について書かれた、理論的にして実務的なとてもすぐれた教科書である。その第9章は土壌保全政策について解説されている。

アメリカは1930年代に干ばつとそれに伴う激しい砂嵐に襲われた。それ以来、土壌保全は農業政策の柱のひとつとなった。しかしながら、これまでに「保全プログラムへ150億ドルを超える支出をしたにもかかわらず、土壌喪失はなお続いている。合衆国では、現在、その3分の1の耕地が土壌の生産性を維持するに足る水準を超える浸蝕率となっている。」(邦訳p146)

傾斜地を覆っていた森林や草原を耕して土壌をむき出しにすれば、降雨のたびに土壌が川に流れ出る。川に流れ込んだ土壌は堆積してダムや用水路を埋める。

では「なぜ農業者は保全事業を実施しないのか」?という問いに著者は明快に答える。

「農業者が土壌保全作物を植えたり土壌喪失を最小限に食い止めたりする対策を取りいれないのには、いくつかの理由がある。多くの場合、保全事業のコストは、農業経営者がその事業から得られる利益を超えている。安い肥料と改良された技術とは、多くの農場での保全事業を非経済的なものとしている。土壌侵蝕から起る収量の減少は、侵蝕防止策によるよりは、肥料の追加購入により、より安く埋め合わせることができる。生産性の減退が農場の価格に反映されないかぎり、将来の世代のために土壌を保全する経済的誘因はほとんど生まれない。」

「地力消耗作物から土壌保全作物への転換は、しばしば所得の著しい減少を結果する。たとえば、コーヒーや大豆にかえて深根性豆科植物のアルファルファを植えるなら、純益は1エーカー当たり30ドルも減少する。」(邦訳p.147)

本書によれば、連邦政府は土壌浸蝕がすすむ条件の悪い農耕地を持ち主から賃貸借することによって、そのような場所での作付けを防ぎ、草原や森林を復活させようとするプログラムを実践している。これには生産調整という意味もある。それ以外の規制や税制・補助金による施策はうまくいっていないらしい。しかしながら条件の悪い土地すべてに賃料を払うということは財政的に不可能だし、休耕して政府に貸し出すかどうかの判断は農家の自主性にまかされる。土壌が浸蝕されようとも作付けしたときにあがる当面の利益と賃料をくらべた場合、農家にとって魅力的なのはどちらか、という比較となる。農家は農業をやりたいから農家なのである。

一方、他の農業分野での政策課題にくらべて、土壌保全はそれほど重要な課題とは考えられてこなかった。それは、土壌侵蝕がすすんでいるといっても、「しかし、それが次の50年ないし100年間に、食料生産力に及ぼす全体的影響は、きわめて小さいものであろう」と思われているからである。著者は他の研究を引用して次のように述べている。「Larson等によれば、コーン・ベルト地帯のある型の土地では、年間1エーカー当たり7.3トンに及ぶ浸蝕率があっても、それは100年間にわずか2%の生産力低下という結果になる。この程度の損失なら、段丘や草地の水路等の建設よりは、水保全措置、改良品種の作付けそして注意深い適時、適量の施肥により(おそらく低コストで)容易に埋め合わせることができよう。」(邦訳p.159-160)


高野のコメント

どこの国でも平地で農耕地が不足すれば丘を耕し、森林を開墾して傾斜地を農地にしてきた。日本ではそのような場所を開墾するときには、古来からたいへんな労力をかけて棚田をつくってきた。水田をつくるためには土地は水平でなければならないという必要からきたことだっただろう。そのために日本では農地からの土壌侵蝕はそれほど問題にはなっていないのではないか。一方で、大型機械の入れないそのような田で作られる米は値段が高く、また米の需要の減少とともに棚田は真っ先に耕作放棄されることになる。

アメリカ農業では棚田や段段畑をつくることができない。水田をつくるのでなければ農地は水平である必要はない。起伏のある見渡す限りの丘を化け物のような大型機械で耕し、収穫する。そのことによってコストを下げて利潤を確保する。一方、そのようにして大量生産された小麦、とうもろこしや大豆は供給過剰で値段が下がる。そうするとさらなるコスト削減が必要、というスパイラルに入っていく。その過程で農民はますます経営が苦しくなると同時に、土壌はますます侵蝕されていく。

その一方で、アメリカは余剰農産物の輸出の拡大にますます傾斜する。工業製品をアメリカに輸出することで経済を支えている日本は、その見返りに農産物をアメリカから輸入する。アメリカの土壌を食いつぶしているがゆえに安い穀物が、日本のパンやうどんや豆腐や肉類となって、日本人の胃袋におさまる。それで、日本では減反によって休耕地が増える。農地が市街地や道路になっていく。

この構図はいったいどう見えるか?いろんな見方ができよう。例えば・・・

アメリカの農業が「千年持続」不可能なのは明らかである。土壌だけでなく水もそうである。日本はアメリカの貴重な地下水を農産物という形で大量に「輸入」している。国土の相当な部分が乾燥地のアメリカから、これだけ水の豊富な日本へである。日本人はアメリカの自然資本の犠牲の上に生きている。それもアメリカの人々の自発的な意思によって。アメリカ人は相当なお人好しであると言わざるをえない。

一方、休耕地をつぶしてコンクリートとアスファルトで覆うようなことをすることは、お人好しにもアメリカの持続不可能性におつきあいする行為にみえる。もし国家の戦略というものがありうるとすれば、休耕地は最低限、休耕地のまま放っておくべきであろう。できれば趣味的な農業でも持続できればとてもよい。

アメリカでの土壌侵蝕の影響が仮に100年で2%の生産力低下であっても、それを埋め合わせるための肥料の原料となるリン鉱石の枯渇や地下水の枯渇も同時に進行する。アメリカ農業の限界はそれらの効果が相乗することによって「ある日突然」やってくるだろう。それは10年後かもしれないし、100年後かもしれない。しかしながら1000年以内には必ずくる。その時に休耕地は復活すればよい。趣味の農業からプロの農業に転換すればよい。

こういう長期展望と当面する課題とをうまく擦りあわせ、針の穴を通すような解を探すことが政策というものであろう。自然資本をくいつぶすことで安く作られている農産物と無理に競争する必要はさらさらなかろう。むしろ、休耕地を農地として維持するための手だてをうっておくことが必要だろう。

これから向かう超高齢化社会へむけて、定年後の生活の糧および楽しみとして、田舎に移住して農業をはじめる人を大量に増やして休耕地を耕してもらってはどうか。農業には定年はない。また都市住民の息抜きのような趣味的な農業のために利用することを強力におしすすめてはどうか。棚田などは使わなければすぐに痛んでしまうだろう。趣味的であっても使うことによって維持されれば、将来への備えとしては万全である。