千年持続可能な世界への挑戦

−「持続可能な開発」としての環境万博の理念の提案−

 

高野雅夫(名古屋大学理学研究科地球惑星理学専攻 助教授)

masao@eps.nagoya-u.ac.jp

 

1.はじめに

 海上の森を大規模に開発して万博を開催するという計画が白紙撤回された段階で、万博の理念も根本的に考え直す必要があることが、多くの人から指摘されている。理念なしには具体的な会場計画も、会場内外の自然環境の保護計画も立てようがないと思われる。

 従来型の「開発」としての万博はもうありえない。一方、「自然保護」としての万博もありえないであろう。リオ・サミットで提起された「持続可能な開発」としての万博が唯一実現可能なあり方である。しかしながら、「持続可能な開発」とはいったいどういうものか、というお手本は世界のどこにもない。そこで、千年先でもやっていけているような社会の仕組みを、今から実験し実現しようという「千年持続学」の立場から、環境万博の理念になりうる「持続可能な開発」のコンセプトを提案したい。

 

2.20世紀型・21世紀型・千年持続型・社会システム

 20世紀に、世界は人口も経済も爆発的に成長した。これによって、資源の大量採取→大量生産→大量消費→大量廃棄の社会システムが、全世界的なシステムとして成立した。これは、石油が開発され大規模に利用されるようになってはじめて可能となった。石油は穴さえ掘れば、かってに吹き出してくるので、生産コストが安く(それに対して例えば石炭は人間が地下にもぐって掘らなければならない)、「油水」のように使うことが可能となった。

 この社会システムは、持続不可能である。つまり、1)石油をはじめとする地下資源は必ず枯渇する。2)廃棄物が地球にあふれるとこのシステムは機能できなくなり、いずれ必ずそうなる。20世紀の社会はこの二つの限界を感じることなしに、爆発的な成長を遂げた。20世紀は「発展=開発」の時代であった。しかしながら、ここにきて、これらの限界が迫ってきた(図1a)。現在、われわれは、再生不能資源(地下資源)も、再生可能資源(水や生態系の資源)も急速な勢いで消耗しつつあり、このままいけば、資源の枯渇によって食糧や工業生産システムがパニックを起こし、深刻な危機が訪れる可能性が高い。

 再生不能資源のうちでも最も重要な石油の生産量予測によると、生産可能量は2010年から2020年でピークを迎え、それから急激に減少する。世界の石油需要は、1979年オイルショックの影響が落ち着いてからこのかた確実に上昇しているので、あと10年から20年の間に需要が供給能力を上回り、激しいオイルショックがやってくる危険性がある。

 もっとも、化石燃料はまだ残っている。天然ガスの生産量ピークは石油よりもう少しあとで、2030年とかになり、その後やはり急激に減少すると予測されている。石炭は、もう100年くらいもつであろう。ただ、そのエネルギー供給速度は、21世紀後半を通じて、1980年代のレベルと予測されている*1)

 2100年以降、地下資源は完全に枯渇すると思われれる。そうなると、われわれ(の子孫)は、かつての地下資源を掘り出した地上資源(リサイクル資源)と、生態系の資源(再生可能資源)を持続的に使って生きる他はない。このような社会は千年先にも持続可能であると考えられるので、これを「千年持続型社会」と呼ぶ(図1b)。

 

3.千年持続型社会への移行期としての21世紀

 社会を支える資源・エネルギーの観点から見た時、「20世紀の開発型社会」から「千年持続型社会」への移行期として「21世紀型社会」をとらえることができる。そうとらえた時に、21世紀は、化石燃料(天然ガス・石炭)がまだ残っていて、余裕のあるうちに、千年持続型社会を準備する時代であるべきだ。「持続可能な開発」とは「千年持続型社会を準備するための技術や社会システムの開発および産業構造の転換」である、ととらえることができる。

 この準備は、二段階あって、第一段階は、石油に依存しているものを天然ガス・石炭にスムーズに乗り換える、ということである。われわれは日々、石油を「食べ」、石油を「着て」暮らしている。例えば、あと10年で、石油で動いている船をすべて石炭で動くように作りかえる、ということの困難さは想像に難くない。しかし、こういう努力をしないで放置しておくと、メガ・オイルショックをまともにくらって、深刻なパニックが起る危険性がある。一方で、天然ガスによる燃料電池・熱電供給システムなどのような、効率のよい新しい有望な技術も登場している*2)

 第二段階は化石燃料依存から脱却し持続可能なエネルギーシステムに移行する、ということだ。ありうるのは、太陽光・風力・地熱・バイオマスエネルギーである。いずれにせよ、現在の世界および日本のエネルギー消費速度はまかないきれないので、極限までエネルギー利用効率を上げたうえで、エネルギー消費速度を抑える手だてをとることが必要である。

 他の資源の面でも持続可能なシステムに作り替える必要がある。例えば、20世紀の後半、爆発的な人口増加を支えたのは、大量の化学肥料である。例えばリンは地下資源のリン鉱石を掘って、田畑にばらまいて食糧を作っている。このままいくと、21世紀の半ばから後半にはリン鉱石は枯渇し、深刻な食糧不足がやってくるのは確実である。リンを完全にリサイクルさせる農業・社会システムをつくる必要がある。

 今一度注意していただきたいのは、千年持続性を考えるとき、人間のとりくむべき課題は千年先ではなくて、10年先にある、ということだ。これは、次世代の問題ではなくて、われわれの世代の課題である。

 

4.グローバリズムVSバイオリージョナリズム

 今、不況にあえぐ日本においては、産業構造の転換=新産業の創出が叫ばれている。現時点では、これは、アメリカ発のグローバリゼーションの流れに乗り遅れるな、ということの言い換えにすぎない。しかしながら、経済のグローバリゼーションというのは、世界的な「業界標準」をめざす競争であって、それに勝つことのできたごく少数のものが生き残る「ひとりがち」の競争である。他方、グローバリゼーションとは「世界のアメリカ化」である。情報テクノロジーでもバイオテクノロジーでも、日本ですらアメリカにはかなわないと思われる。つまり、グローバリゼーションとはアメリカがしかけた、アメリカ「ひとりがち」の競争であるように見える*3)

 では、アメリカが21世紀に本当にひとりがちできるか、というと、私には、そうは思えない。アメリカは石油の枯渇だけでなく、水(化石水という再生されない地下水で、アメリカ農業のかなりの部分はこれに依存している)の枯渇という「油水」爆弾を抱えている。この二つの液体地下資源の枯渇によって、アメリカは21世紀の前半に、深刻な危機にみまわれる危険性がある。

 日本は(アメリカ以外の国は)、このままいけば、グローバリゼーションにおいてアメリカに敗北し、資源の枯渇においてアメリカと心中する道をたどっているように思われる。

 日本は別の道をたどるべきである。それは、千年持続型社会をめざして、移行期として「持続可能な開発」を行う、という道である。今の日本経済は、石油を利用することに最適化している。これを天然ガスや石炭に置き換えることは、新しい技術と社会システム(インフラ)の導入を必要とする。持続可能な農業を行うにも、持続可能なエネルギーシステムを作り上げることも、たくさんの新しい技術と社会システム(インフラ)を開発することが必要である。これこそが、今求められる真の産業構造の転換であり、新産業の創出であると考えられる。

 石油が枯渇すれば、今のように世界のすみずみから物を集め、また配る、という大規模な物流はありえないだろう。したがって、グローバリゼーション経済は基本的に立ち行かなくなる。例えば、中部地方くらいの規模で必要な食糧や物資やサービスが調達され、また、必要な雇用もある、という社会にならざるをえないのではないだろうか。また、今の日本ではほとんど見向きもされない森林の資源をはじめ、生態系資源を高度にかつ持続的に利用することが必要になろう。このような社会をめざす思想が「バイオリージョナリズム(生命地域主義)」*4)である。

 もちろん、バイオリージョナリズム社会が現時点で実現できない強力な理由がある。それは、石油の価格がきわめて安いということである。太陽光発電も、リサイクルも、石油とのコスト競争に勝てない。しかし、今後、枯渇にむけて石油価格は確実に上昇する。それにつれて、コスト的にみあう持続可能技術がでてきて、その瞬間にいっせいにベンチャービジネスが花開く、というシナリオを描くことは、そう無謀なことではないように思われる。それに向けて今から技術やノウハウ、インフラを開発しインキューベート(培養)しておく、ということが必要であり、それが「持続可能な開発」の具体化の一つの姿であろう。

 

5.おわりに

 私は、上のような「持続可能な開発=千年持続型社会の準備」というコンセプトのもとに、環境万博の具体的な企画を考え、位置づけることを提案したい。例えば以下のようなアイデアはいかがだろうか。

例1)愛知県内の大学と国連大学が連携して構想を進めている、万博期間中だけ設立される「環境ユニヴァーシティ」のコースの一つの柱として「千年持続学」コースを作る。この分野での世界的に有名な研究者(レスター・ブラウン氏とかE.U.ワイツゼッカー氏とか)を招待して議論したり、食糧・資源・エネルギー危機の予測などの研究成果を教育カリキュラムに組む。

例2)会場の一部もしくは全部を「千年持続型」システムとして、「千年後の生活」のようすを実験・体験できるようにする。例えば、太陽電池メーカーを誘致して、太陽電池のエネルギーだけで太陽電池を生産する工房を作って、太陽光発電システムが「千年持続可能」であることの実証実験をする。

例3)森林・里山の未利用資源を活用する新技術の実験と利用と展示。木材からアルコールを作って、会場輸送バスを走らせたり、有用な植物・菌類・昆虫類を紹介するなど。

例4)万博企画および跡地利用として、「持続可能な開発」研究センターを作る。環境ベンチャービジネスのインキュベートセンターにする。

 

参考文献

*1)化石燃料の将来については、小西誠一『エネルギーのおはなし』日本規格協会、1995年を参照。

*2)天然ガス・燃料電池システムの可能性については、赤池学、藤井勲『「温もり」の選択』TBSブリタニカ、1998年を参照。

*3)グローバリゼーションの実態とその意味については、トーマス・フリードマン『レクサスとオリーブの木』上・下、草思社、2000年を参照。

*4)バイオリージョナリズムについては、赤池学「<環業革命>の時代:3生命地域主義時代の到来」『世界』19988月号参照。

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以上の内容は、以下のフォーラムで詳しく講演する予定。

夢倶楽部・月いちフォーラム・EXPOなんでもアリーナ

第13回 2000年6月6日(火)PM6:30〜

テーマ『千年持続学−21世紀の危機とそれを乗り越える智恵』

会場 名古屋都市センター 大研修室

講師 高野雅夫(名古屋大理学研究科助教授)

   赤池 学(ユニバーサルデザイン総合研究所所長)