◆◆ 研究論文にまつわる忘れてしまいそうな小話集 ◆◆

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それぞれの研究論文には,それぞれの研究の背景や裏話があります.全てを記憶しておく自信はないので,ここに記録することにしました.内容に関する全ての責任は,道林にあります.学術論文は何度書いても楽になることはなし.一進一退,ときに喜怒哀楽,ときに阿鼻叫喚.それでも掲載された暁には,すべての苦労は良き思い出に変わるのです.そんな世界を少しでもしってもらえればこの上なし.登場する全ての研究者と学生に感謝!

  1. Michibayashi, K., Oohara, T., Satsukawa, T., Arai, S., Ishimaru, S. and Okrugin, V. M., 2009. Rock seismic anisotropy of the low-velocity zone beneath the volcanic front in the mantle wedge. Geophysical Research Letters, 36, L12305, doi:10.1029/2009GL038527.
    • アバチャ火山カンラン岩捕獲岩研究の速報.2001年2月に金沢大の荒井センセ達が石丸さんの卒論のために静岡にきたのが,アバチャ火山を知った時.「もちは餅屋だから構造の話を議論してほしい」と細粒で組成がおかしな捕獲岩の成因について説明を期待されたけど,ほとんど参考にならなかったと思う.その年の12月14日に金沢大で石丸さんと荒井センセと再び議論.あまり研究は進展しなかったが,帰り際に荒井センセがごちそうしてくれた回転すし屋で食べた白子の軍艦巻きがすっごくおいしかった.さすが食のまち金沢って思った.

      2004年12月10日頃,いくつか試料をもらって静大に導入したばかりのEBSDを使って予察的にデータを出したらBタイプらしき結果が出た(後に,これは間違いであることが判明).すっごくエキサイティングしたけど,まだ装置の信頼性に自信がなかったので12月20日に高知大学海洋コア研究センターのEBSDで修士1年(当時)の針金さんに手伝ってもらい再測定したところ,Aタイプやランダムタイプなど様々な結果を得た.データが収束しないのでまとめることもできず,学会発表程度でしばらく進展しなかった.

      本気で取り組んだのは,2007年4月から研究室メンバになった大原くんの卒論テーマとしてである.2007年6月に研究室の学生を連れて金沢大に試料をもらいに出かけた.荒井研と合同セミナーをした後の飲み会の席で,修士の頃からお世話になっている荒井センセは「道林くんが学生を連れてくるなんて」と感慨深そうな様子だった.その後大原くんはものすごい馬力と忍耐力で荒井センセからお借りした岩石試料を分析した.一方,この捕獲岩の構造研究はエール大学(アメリカ)とモンペリエ大学(フランス)で行われていたので,卒論で成果が出る前に論文発表されたらどうしようとヒヤヒヤしていた.

      卒論を大原くんが書き始めた2009年の1月頃,エール大学の研究が途中で頓挫していたことを過去のAGUのアブストから推理した(後に,Phil Skemerが当時この研究をしていたが中途半端におわったことを教えてくれた).一方モンペリエ大ではまだ研究途中で成果がまとまっていないかもとも推理して,とりあえず地震波異方性の研究成果について速報を出そうと1月から2月の3週間くらいで原稿を書き上げた.比較のため,背弧のデータを佐津川さんに提供してもらい,静岡独自のスタイルにする工夫もした.

      火山フロントの研究は他になかったので,GRL用に書いた原稿だったけど,Natureに最初に投稿した.2009年2月の最終週である.学生たちに3日過ぎても返事がこなかったらもしかするかもって冗談半分で話しながら,前回のダメージが大きかったので最初から門前払いされる覚悟があった.しかし,3日過ぎ,1週間過ぎて,アレレこれは本当にもしかするかもって期待が膨らんでしまったまま,愛媛大学地球深部ダイナミクス研究センターのセミナー発表に出かけた.発表後,河野くんとNatureに投稿した論文がもどってこないと話しながら深夜まで飲み,宿に帰る途中で携帯電話でメールを確認したら返事がきていた.10日間にもかかわらず,前回同様門前払いでがっかりした.

      卒業式が終わり,研究室の引っ越しが終わった頃にモンペリエ大が投稿したことを知り,やはり同時進行だったのかと気を取り直してGRLに投稿したのがこの論文である.有名な研究機関との競争だったので急いだこともあって若干思慮が浅い論文だけど,メインの研究内容でしっかりと書けばいいと思っていた.ところが2009年12月のAGUでロシア人がアバチャ火山を含むカムチャッカ半島前弧側のテクトニクスに関して新しいモデルをポスター発表していたのを偶然見つけてしまった.そのため,本論に載せていない研究成果をそのまま論文にすべきか再考すべきか悩んでしまっている.

  2. Michibayashi, K., Ohara, Y., Stern, R.J., Fryer, P., Kimura, J.-I., Tasaka, M., Harigane, Y. and Ishii, T., 2009. Peridotites from a ductile shear zone within backarc lithospheric mantle, southern Mariana Trench: results of a Shinkai6500 dive. Geochemistry Geophysics Geosystems, 10, Q05X06, doi:10.1029/2008GC002197.
    • 初めてのマリアナ海溝調査の時の成果をまとめた論文.航海は2006年8月下旬から9月上旬.グアム経由でパラオに入国し,そこで乗船.パラオからべた凪のなか調査地まで回航した.パラオは初めてだったけど,スキューバダイビングなどのマリンスポーツ目的で意外と若い日本人がいて驚いた.しんかい6500の調査に参加したのはこの時が初めてだったのでやることなすこと目新しくてどきどきの連続だったはずなんだけど,実際は遠くに発生していた台風の影響による長周期の波にゆらゆらと揺れる母船「よこすか」に翻弄されて,気分は超低調で船上で楽しみたい気持ちはあったのだが体がついていかなかった.行って良かったみたいな明るい感想は,この航海のずっと後のことである.乗船研究員は少なかったので船酔い状態でも動ける間はとにかくやれそうなことを必死にやった.船上では動けるヤツが使えるヤツだと実感.目当てのかんらん岩は本論文で報告した1ダイブだけだったけど,他の岩石についても船上ミーティングに参加しながら耳学問した.マリアナ海溝南部って面白い.

      サンプルを研究室に持ち帰ると,2ヶ月ほどで田阪さんが研磨薄片からファブリック測定まであっさりと済ませてくれた.改めて彼女の馬力をそのフットワークの軽さから感じた.一方,EPMA分析は海洋研で石井センセが,全岩分析を島根大(当時)で木村さんが下船後田阪さん同様短期間に出してくれた.これで全てのデータが揃ったのだけど,道林は構造解析担当だったので,最初は微細構造とファブリックだけで論文を書き始めた.しかし,首席の小原さんが超多忙だったこともあって,岩石学的なデータも報告することに方針を上方修正して本論文となった.修正稿を再投稿すれば受理される段階まできた時に共著者のボブに英文校正をお願いしたところ,図のシンボルでアレコレとクレームが入った.最初はここまできて面倒だと修正しない方向で説得を試みたら,それなら著者からはずしてくれと立腹されてしまった.小原さんとこれはマズイと相談している間にボブの方が理にかなっていることに気づいた.やってみると,図の修正は大した手間ではなかった.浅はかな考えのまま説得する前にやることをやるべしと反省した一幕であった.

      しかし,G3は手間がかかった.査読結果が編集担当にあがって1ヶ月,その結果が編集長にあがってさらに1ヶ月待った.査読者が査読終了してから約2ヶ月後に編集長から再投稿の連絡が入ったのだが,決まり文句とはいえ3週間で修正しろと言われてちょっとひどくない?って思ったけど,こっちは掲載してもらう側なので文句は自分の周辺だけにして言われたとおりに期限内(ちょっと延長してもらったけど)に修正して受理された.2007年のAGUで木村さんに愚痴ったら,G3はJGR相当を目指しているからキビシイのだと慰めてくれた.半分だけ納得.ボブからは小論文と評価されたけど,自分としてはデータもしっかりしているし,構造データも上手く考察にはめこめた(査読者のPhilもこの点を評価してくれた)し,まずまず満足している.タイトルには意図的にしんかい6500を入れた.これはしんかい6500の内部を見学した時にしんかいチームの佐々木さんから色々な話を聞いて,もっとしんかい6500をアピールしたいと思ったからだ.本文や謝辞よりも論文タイトルが最も効果的なのである.これからもがんばってしんかい6500論文を発表したいという思いは,今なお健在.

  3. Michibayashi, K., Hirose, T., Nozaka, T., Harigane, Y., Escartin, J., Delius, H., Linek, M. and Ohara, Y., 2008. Hydration due to high-T brittle failure within in situ oceanic crust, 30°N Mid-Atlantic Ridge. Earth and Planetary Science Letters, 275, 348-354.
    • 「新鮮なカンラン岩がとれるんだぞ.この航海にいかなくてどうする?」と海野センセに発破を掛けられて,「じゃ,いこうかな」と行くことにした次第.正直,どんな航海なのか,目的もなにも知らずに大西洋のど真ん中にいった.しかも,真冬の大西洋は大しけの連続で,船酔いでサイエンスどころではなかった.とにかく,与えられた仕事をこなす日々だった.不幸中の幸いだったのは,新鮮なカンラン岩など一向に見つからず,代わりに塊状のはんれい岩が次々と船上に運ばれてきたので,仕事が簡単だったことだ.1ヶ月が過ぎた頃,次第に船内生活に慣れてくるに従って,何を研究テーマにすべきか悩むようになった.そんなある朝,船上に明らかに断層破砕岩とわかるはんれい岩があがり,「これっきゃない」と即決.残りの時間を担当作業の合間に,この断層破砕岩の薄片を観察しながら今後の方針をアレコレと考えたのが,本論文のはじまり.

      論文の半分程度は船内で書いたが,新しい分野だったのでイントロを最初は書けなかった.幸い,作業でチームを組んだハビエはこの分野で世界的に活躍する研究者だったので,アレコレと助けてくれた.おかげで次第に背景を理解できるようになり,論文以上の収穫になった.航海の後のサンプリングパーティで京都大(当時)で廣瀬さんが透水係数を測定してくれることになった.また,岡山大で野坂さんが鉱物の化学組成から平衡温度を求めてくれた.論文中の残りの部分は,このお二方が協力して執筆してくれたものである.共同研究って,こうやってするものなのかと実体験した論文である.

      EPSLに投稿したのは,IODPがビッグプロジェクトなので,それに見合うように国際誌でも最も難易度の高い雑誌に発表したい思いが強かったからである.査読者2名のうち1名から音信不通だったようだが,編集者に評価され期待通り受理された.乗船研究者として果たすべき役割(義務)を良い形で果たせたので,ちょっと気分が良い論文である.しかし,場当たり的なテーマであったことは否めず,落としどころに苦慮した論文でもあった.この類の研究は,やり始めるのは容易いが,まとめるのは大変である.でも面白いし,得るものも貴重だし,懲りずにまたやっちゃいそう.

  4. Tasaka, M., Michibayashi, K. and Mainprice, D., 2008. B-type olivine fabrics developed in the fore-arc side of the mantle wedge along a subducting slab. Earth and Planetary Science Letters, 272, 747-757.
    • 当時PDでいた岡本さんが1枚の薄片を見せてくれた.それが芋野岩体を知った経緯.県道脇でアクセスしやすく規模も小さく手頃だった.始めた当初は,オマーンと海以外でとにかくカンラン岩研究がしたかった.結果は大したことなくても良かった.卒論として体裁をなしていれば十分だと思っていた.しばらくして「Bタイプです」と言われたとき,正直「まさか」と思った.マリアナ海溝でもBタイプを見つけていたからだ.しかし,今回は露頭がそこにあった.何度でも行けたし,試料もたくさんとれた.思った以上にBタイプだった.さらに早々に構造解析を済ませたため,卒論提出までの残り期間にEPMAで岩石学的なデータをとることにした.しばらくして「ボニナイト的です」と言われたとき,正直「またか」と思った.結局,Bタイプだったカンラン岩は,後に金沢大の荒井センセに「私が見つけたかった」と言われたボニナイト的なダナイトであることが判明した.

      やることなすことがホームラン級の結果につながった.ビギナーズラックもここまでくると運も実力といってしまって良いのかもしれない.ともかく知ってしまったものは仕方ないと,国際誌への発表を急いだ.Bタイプの旬が過ぎてしまいそうだったからである.実験と理論からBタイプ研究が大きく注目されたのは2004年から2006年であった.しかし,地質学的な証拠は相変わらず乏しく,多くの地震学者は変わらず懐疑的に思えた.そのため,できるだけ早く報告しないと,存在意義が薄れるどころかなくなるのではないかと恐れた.当人もその気になり,東大の修士課程に進学後しばらくして卒論を投稿論文用にしてみましたまだ途中ですがと原稿を送ってきた.それはなんとも表現しずらいクオリティで大学業務で暇がなかったこともありしばらく手をつける気にはなれなかった.しかし当人はやる気十分だし内容が内容なので,なんとか自分を奮い立たせて,彼女が分析に来ていた2007年の冬休みから一気に投稿論文にまで書き直し,2008年の1月末にEPSLに投稿した.取り組んでみると思った以上に書きやすい論文だったのは卒論のクオリティが半端なかったためである.大したもんだ.幸い,査読結果もポジティブで6月に受理された.あんまり反響はないけど,手応えを感じていなくはない.瓢箪から駒が出たかのような研究である.もう1度と言われても,ちょっとね.

  5. Harigane, Y., Michibayashi, K. and Ohara, Y., 2008. Shearing within lower crust during progressive retrogression: structural analyses of gabbroic rocks from the Godzilla Mullion, an oceanic core complex in the Parece Vela backarc basin. Tectonophysics,457, 183-196.
    • 針金さんの博士論文研究の第1弾.この試料を採取したドレッジ航海は2003年1月.当初,針金さんの同期の小田島くんが乗船する予定だったけど,オマーン調査直後だったため疲労で体調を崩して乗船をとりやめた.それによってこの話はおわったはずだった.再び登場することになったのは,2005年1月から3月まで海洋底掘削航海に参加したことにある.この掘削航海ではアトランティス岩体という大西洋中央海嶺の高まりを掘削して新鮮なかんらん岩を採取するのが目的であった.しかし,大方の予想に反してかんらん岩ではなくはんれい岩ばかりが深海底から船にあがった.皆肩すかしを受けたようであったが,海洋研究初心者の私にとっては毎日のミーティングや乗船研究者との議論を通じて2ヶ月の航海中に次第に中央海嶺のテクトニクスを理解する機会となった.

      掘削を終えてアゾレス諸島の港までの回航中に首席研究員の小原さんとフィリピン海のゴジラムリオンについて議論する機会があった.航海中に得た知識にもとづいて,この時初めてゴジラムリオン研究に心から興味を抱いたと思う.大西洋はアメリカとヨーロッパの間に位置することもあり,掘削航海中も欧米研究者の熟知ぶりにアウェイ感が強く,とても同等以上の研究成果を出せる気がしなかったので,ホームに近いフィリピン海のゴジラムリオン研究に海洋底研究としての高いポテンシャルを感じたのである.そして,この研究を一緒にする相手として白羽が立ったのが,針金さんである.

      当時修士1年であったが研究テーマを絞り込めずにいたこともあり,修士研究としてゴジラムリオンをテーマにすることに同意してくれた.修士2年になったばかりの2005年4月に,途中で路地に迷い込みながら東大海洋研に車ででかけ,待ち合わせした小原さんからゴジラムリオンの試料を受け取った.元かんらん岩のウルトラマイロナイトの小さな試料を見つけたとき,これはいけると直感した.これが博士研究に続く針金さんのゴジラムリオン研究のはじまりのストーリーである.

    • さて,針金さんがまとめた本論文の話である.ゴジラムリオンを始めたのは風化した蛇紋岩がきっかけだった.しかし,それだけでは最初はうまく書けなかった.修論をまとめた論文はEPSLでは共著者の同意を得られず取り下げ,G3では定量的なデータがないとリジェクト.キックスタートを決めたかった博士課程1年目は,結果的にはほとんどの若手研究者が味わう「産みの苦しみ」を経験させる羽目になってしまった.一方,風化した蛇紋岩の微細構造ばかりやっていても埒が明かないので,新鮮なはんれい岩の構造解析を進める方針にした.はんれい岩研究を本格的に取り組んだのは,これが最初だった.

      先述の投稿論文に悪戦苦闘しながらもEPMAとEBSDとEDSを使ってゴジラムリオンのはんれい岩の構造岩石学的データをひたすら集めた.実質ゴジラムリオン2年目のD1時代は,まとまった結果がない状況でも学会発表は必ずしてもらったが,当然きびしいものだった.ゴジラムリオンのはんれい岩にある系統的な関係が見えてきたのは,D1の冬だった.その,かすかに見えた関係を,持ち前の馬力と根気で確固たるものにまとめあげたのが本論文である.詳細は省略するが,はんれい岩が実は熱水後退変成作用を受けた変成岩であることを明確に認識した時が,最も重要なキーポイントだったと思う.

      D2の8月に初稿があがって10月にEPSLに投稿した.12月にAGUで口頭発表したときは査読者がその場にいたらしい.そうして査読結果はそれほど悪くなかったのだが,編集者にEPSLの規定内で修正するのは無理と判断されて惜しくもリジェクト.度重なるリジェクトで落ち込むのを叱咤激励してTectonophysicsに再投稿して受理された.博士課程3年の6月のことである.それは博士号取得に大きく前進した6月であった.

  6. Michibayashi, K., Tasaka, M., Ohara, Y., Ishii, T., Okamoto, A. and Fryer, P., 2007. Variable microstructure of peridotite samples from the southern Mariana Trench: evidence of a complex tectonic evolution. Tectonophysics, 444, 111-118, doi:10.1016/j.tecto.2007.08.010.
    • 海洋底起源のかんらん岩研究として最初に行った研究を論文にしたもの.オマーンオフィオライトは海洋プレートの断片だと教わっていたが,本物の海洋プレート起源のかんらん岩はどうなっているのか年々気になるようになった.そんな折り,たまたま東大海洋研のとある集会で共著者の小原さんと東大のPD時代以来しばらくぶりに再会し,彼が海洋底の研究をしていることを知った.旧知の間柄だったこともあり,2003年5月に幕張メッセで開催された日本地球惑星科学連合合同大会の時,一緒に会場の食堂でランチをしながら海洋底かんらん岩の研究をしようという話で盛り上がった.これが小原さんとの共同研究のはじまりである.

      最初の岩石試料として分けてもらったのが Ohara&Ishii (1998, Island arc)に報告されたマリアナ海溝南部陸側斜面で1992年に東大海洋研の白鳳丸(現在はJAMSTEC所属)でドレッジされたかんらん岩である.彼が忙しい合間をぬって,早くほしいとうるさい私のために海洋研に保管されていた試料を選別して送ってくれたのは,2003年9月19日のことである.にもかかわらず,これらの岩石について本格的に研究を開始したのは2004年4月の卒業研究(黒田さん)からであった.こうして海洋底のかんらん岩研究を始めたのであるが,2005年になって黒田さんのデータ解析を手伝っていた田阪さん(当時学部3年生)が思いがけずBタイプのCPOを見つけてしまった.2004年に名古屋大学のグループがNatureにBタイプの論文を発表してまもなかったため,最初は半信半疑だったが次第にこれはすごい発見かもしれないと思って書いたのがこの論文.

      もちろん「すごい発見」をしたので,2005年8月のはじめにNatureに投稿した.あんなにどきどきして緊張しながら投稿したのは,大学院生時代以来であった.投稿直後からテンションがあがりっぱなしだったけど,1週間も経たない間に編集者からメールの返信を受け取り「貴君の論文には興味なし」と門前払いをうけた.今度はどこまでもへこんだような気がしたけど,後に投稿論文の9割が同じ扱いをうけると知って気を取り直し,この時から私は「自分はNatureに投稿したことがある研究者」と自慢にならない自慢を時々するようになった.さらに気を取り直してGeologyに投稿するも最初の査読結果は上々だったのに再投稿後に即リジェクト.懲りずにGRLに投稿するも最初から即リジェクト.さすがにもうこの論文に対する心は折れそうだったがBタイプを発見した田阪さんに励まされ,ついには発表することに意義があると自分に言い聞かせながらTectonophysicsに投稿した結果,受理されたのが2007年8月14日である.紆余曲折して2年以上もかかってしまった.

      正直なところ,未だにこのBタイプは本当にBタイプなのか心配であり,発表したものの後悔の念もないわけではないなんとも後味の微妙な論文になってしまった.しかし,稀な海洋底かんらん岩の構造解析の成果として発表できたため,まんざらでもない気持ちもある.マリアナ海溝南部は世界で最も深い海でもあり,これまでの研究にはない醍醐味を感じ始めた.しばらくは頑張って取り組みたい研究地域である.

  7. Michibayashi, K. and Murakami, M., 2007. Development of a shear band cleavage as a result of strain partitioning. Journal of Structural Geology, 29, 1070-1082, doi: 10.1016/j.jsg.2007.02.003.
    • Michibayashi et al. (1999)の続編.1996年に卒業論文として始めた研究をまとめたもの.1997年から日本学術振興会海外特別研究員に補欠採用されてフランス・モンペリエ大学に留学した時の最初の半年間を費やして,この論文の後半部分の研究を行った.データがモデルで説明できると思った時はとてもうれしかった.1999年にドイツの学会で発表したとき,まあまあの反応があったので,論文として投稿した時は,やはりまあまあの自信があった.しかし,結果的に2度のリジェクトを受け,今回が3度目の正直であった.初期の原稿には論文の展開の甘さがあったことは否めないが,シアーバンドという誰もが知っている微細構造の論文なので,マイシアーバンドモデルをもつ査読者ばかりで,コメントも辛辣でリジェクトのあとショックのため長い間リハビリ期間を必要とした.2年間の長期休養後,改めて見直して結果を得た.受理されて,のどに刺さりっぱなしのとげが抜けたような開放感を味わう.

  8. Michibayashi, K., Abe, N., Okamoto, A., Satsukawa, T., Michikura, K., 2006. Seismic anisotropy in the uppermost mantle, back-arc region of the northeast Japan arc: petrophysical analyses of Ichinomegata peridotite xenoliths. Geophysical Research Letters, 33, L10312, doi:10.1029/2006GL025812.
    • 国際会議の時に知り合いのドイツ人研究者にこの研究のプレゼンについて鼻で笑われたような感じにまたまた奮起してがんばった論文.論文を書き始める動機が甚だ不純ではあったが,ともかく,これまでのキャリアで最も短期間で仕上がって受理された論文.もちろんメモ書き程度には原稿があったが,レターなので短いこともあり2005年の冬休みを利用して一気に書き上げた.原稿が良い感じで書けたのは,以前に別の論文をNatureやGeologyに投稿して痛めつけられた経験があったので,レター向けの書き方を多少学んでいたことが大きいと思う.書き上げた後,仕事納めの日に共著者の阿部さんに来てもらい,細かな内容について確認したりして,この年末のがんばりは実を結んだ.またこの時,まだ帰省しないで研究室に居残っていた学生(田阪さん)を加えて,忘年会代わりにいった街の飲み屋さんはなかなか洒落ていてよかった.さらにその後にハシゴしたおでん横町の静岡(しぞぉーか)おでんはうまかった.おまけに3人分でもムチャ安だった.

  9. Michibayashi, K., Ina, T. and Kanagawa, K., 2006. The effect of dynamic recrystallization on olivine fabric and seismic anisotropy: Insights from a ductile shear zone in the Oman ophiolite. Earth and Planetary Science Letters, 244, 695-708.
    • かんらん岩の研究を始めてから,初めて地震波異方性を含めて考察した記念碑的論文.この論文の前半の構造解析は2003年の卒業論文にまとめたものを中心としてあるが,後半の地震波異方性の計算等は2005年の夏休みに自分で行った.おそらく地震波の異方性の議論がなかったらEPSLには受理されていなかっただろう.実際,最初はTectonophysics向けに書き始めた(論文タイトルから「and seismic anisotropy」を除くと最初の論文タイトルになる)のだが,とある国際会議で大したデータもない欧米の研究者が「EPSLに投稿するつもりだ」とぬけぬけと言っていたことに奮起してEPSLを目指すことにした次第.査読結果として,一人の査読者に「この論文はEPSLではなくTectonophysicsならいい」などと書かれて,まるでこちらの不純な動機が見透かされたようなピアーレビューにEPSL恐るべしと思った.幸い,もう一人の査読者が高く評価してくれたおかげで,書き直して辛口査読者にも再査読後に納得してもらえた.尚,結晶方位のデータについて,当時の静岡大学にはまだEBSDがなかったので共著者の金川さんにはEBSD装置の使用を含めてお世話になった.てなわけでEPSLに発表できたんだけど,その威力に感心する日々である.

  10. Michibayashi, K., Satsukawa, T., Okamoto, A., Michikura, K. and Abe, N. 2005. Mantle anisotropy induced by the back-arc spreading of the northeast Japan arc: an insight from peridotite xenoliths of Megata volcano. Ofioliti, 30, 209.
    • ISIJournalへの掲載ではあるが,実際には学会の講演要旨である.さらに字数制限を誤解して投稿したので1/4頁分しかなく,学会中に知り合いのドイツ人研究者に「お前のアブストが一番短い」と笑われてしまった.こんなこともあったので,後日GRLに論文としてまとめることを決意した.論文とは関係ないが,この学会の巡検でイタリアの山奥の尾根付近で昼食後のんびりと日光浴をしていた時,国際ローミング対応の携帯電話に「SEMが壊れました」みたいなメールが学生(田阪さん)から届き,飛び上がるくらいびっくりした(帰国後,問題なく対処できた).

  11. Michibayashi, K. and Mainprice, D., 2004. The role of pre-existing mechanical anisotropy on shear zone development within oceanic mantle lithosphere: an example from the Oman ophiolite. Journal of Petrology, 45, 405-414 .
    • 研究は進んでいたけど講義ノートの準備などの日常に追われて論文を全く書けなくなっていた時期に,このままではいかんと手の空いた平日の真夜中にフラフラになりながらも書き上げた論文.きっかけは国際会議の特集号の企画.当初は見送るつもりだったけど,意を決して編集者に頼み込んでリストに加えてもらった.それから締め切りに間に合わせるために,毎日午後10時頃から午前1時とか2時まで書いていた.当然睡眠不足で昼間もボーとしていた.この特集号は掲載期間を遅らせないために,1回目の査読でマイナーだったものだけを受理したらしい.とにかく掲載が決まった(受理された)時,かんらん岩研究者なら1度は載せたい憧れの雑誌だっただけに喜びもひとしおだった.

      論文のデータは2000年に日本学術振興会の特定国派遣研究者としてフランス・モンペリエ大学に1ヶ月半滞在していたときのもの.朝9時過ぎから測定を開始して昼までにかんらん石を150粒から200粒測定し,午後からスピネルを100 粒目指して測定した.SEM室を出るのは毎回午後4時過ぎで,その足で測定結果をまとめて午後6時前に共著者のマインプライス先生に見せながら議論.それからホテルに戻って自炊(スパゲッティが多かった)して夕食をとり,夜はホテルの部屋でビールやワインを飲みながらデータ解析して翌日の測定に備えた.こんな感じで3週間ずっと過ごした.きつかったけど,貴重な体験.

  12. Michibayashi, K., Gerbert-Gaillard, L. and Nicolas, A., 2000. Shear sense inversion in the Hilti mantle section (Oman ophiolite) and active mantle uprise. Marine Geophysical Researches, 21, 259-268.
    • 日本学術振興会海外特別研究員に補欠合格して留学したフランス・モンペリエ大学で行った研究をまとめたもの.当初は別の研究目的で滞在していたんだけど1997年の年の瀬が迫る頃,かんらん岩の構造研究では神様のように後光が見えそうだったニコラ教授から,大学院生が急遽行けなくなったオマーンオフィオライトの調査に同行しないかと誘われたのが,私のかんらん岩研究のそもそもの始まり.

      この年と翌年の2年間,オマーンオフィオライト調査をしたんだけど,大変だったのは岩石試料の処理であった.1シーズンで200〜300個のかんらん岩試料全てについて,面構造と線構造を観察してXZ面を切り出す日々が3ヶ月近く続いた.私の留学中にした研究の大部分は,学部生が最初に習う岩石試料から構造の面を出すことだった.岩石カッターで面出しをして希塩酸に浸し,また面出しをして希塩酸に切り出す作業を延々とした.これが意外と体力を消耗させ,猛暑のモンペリエでは他のことをする気にもなれなかった.

      このような日々を過ごしていた時にニコラグループを中心とした特集号が企画され,お前も書けよと言われて書いたのがこの論文である.実際に書き上げたのは留学を終えて帰国した後だったけど,書けと言われて書ける自分が不思議だった.これまでは好き勝手に論文を書いてきただけだったにもかかわらず,書く力が確実についてきたことを自覚した瞬間である.正直,論文のアイデアはニコラ達の既存の論文の2番煎じであったが,お世話になった恩返しだと思って書き上げた.意外とニコラには好評だった.本当のかんらん岩研究はこれからだって思っていた時期である.

  13. Michibayashi, K., Togami, S., Takano, M., Kumazawa, M. and Kageyama, T. 1999. Application of the scanning X-ray analytical microscope to the ductile shear zone: an alternative method to image microstructures. Tectonophysics , 310, 55-67.
    • ポスト博士論文の第1作という意味で受理されて喜んだ論文.まとめたのはフランス・モンペリエ大学留学中.この研究を始めたきっかけは1995年末に東工大で開催された全地球史解読のシンポジウムで名古屋大学の発表を聞いたからである.XGTという初耳の装置に魅せられてシンポジウムの直後の仕事納めの日に名大にでかけたのだが,普段は3時間程度の道程が大雪大渋滞によって10時間以上もかかり,やっと名大に到着したときは午後8時過ぎですでに担当者が帰宅した後だった.ともかく,この時から共同研究を開始したのだが,翌年から名大の大学院生(戸上君)が修士研究としてこの研究を進めてくれたおかげで論文としてまとめるに至った.最初の原稿では化学組成に関する内容も多かったけど,馴染みのない測定装置の結果について査読者から否定的なコメントをもらい,泣く泣く削ってなんとか受理された.このXGT を使用した研究はこの他に3編あるが,装置が特殊なためか書庫に埋没しているのが残念である .

  14. Michibayashi, K. 1996. The role of intragranular fracturing on grain size reduction in feldspar during mylonitization. Journal of Structural Geology, 18, 17-25.
    • 博士論文の一部.静大で師事していた増田センセの研究を遠く離れて論文を読んで勉強し,マイロナイトで試してみたら意外と似たような結果を得てスゴイって思った.ただし,その部分は未だに発表できていない.Tectonophysicsに博士論文の1章分を全部投稿したんだけど,査読で散々にたたかれてリジェクト.そこで肉をそぎ落としストーリーをシンプルにして改めてJSGに投稿して受理された.博士論文の主なる部分を一応発表し終えて,これまでの研究に一区切りつけることができた.

  15. Michibayashi, K. 1995. Two phase syntectonic gold mineralization and barite remobilization within the main ore body of the Golden Giant mine, Hemlo, Ontario, Canada. Ore Geology Review, 10, 31-50.
    • 博士論文の一部.鉱床学の最高峰であるEconomic Geologyにリジェクトされて途方にくれた後で,それでもやっぱりどこかに発表したくてやっと受理された論文.もはやこの分野から離れてしまったけど,時々カナダの関係する研究で引用されるのを確認して喜んでいる.論文とは,著者とは別に生きていくものなのだ.別刷を鳥海センセに謹呈したとき「課題をこなしたな」と言われ,なるほど確かにその通りだと思った.以来,どんなテーマでもできるやつはできると思うようになった.

  16. Michibayashi, K. & Masuda, T. 1993. Shearing in granitoids during progressive retrogression: abrupt grain size reduction of quartz at the plastic-brittle transition of feldspar. Journal of Structural Geology, vol. 15, 1421-1432.
    • (小話)博士論文の一部.掲載時期としては3番目だが,所謂処女作と言えるのが本論文.留学2年目に某大学からプロモーションの話があり,とにかく国際誌に1編発表しろと言われ,仕方ないので修士論文のデータを練り直して書き上げた.留学先のスーパバイザに見てもらったこと5回以上,最後は自分で書いた論文なのかどうか怪しくなってしまったけど,論理構成だけは自前だったので,論文が受理されて研究者としてやっていく自信をもてた.今読み返しても,当時の自分の若い気負いを感じる.クリスマス前だったこともあり,当時の編集委員長(Sue Treagus)からの受理後の手紙は優しく励ましてくれる心温まるもので,今でも自分の原動力のひとつ.ちなみに,掲載は決まったけど,プロモーションの話は立ち消えとなった.
    • 受理決定後に出した手紙

  17. Michibayashi, K. 1993. Syntectonic development of a strain independent dynamically recrystallized quartz grain during mylonitization. Tectonophysics, vol. 222, 151-164.
    • (小話)オーストラリア留学中に一時帰国して立ち寄った静大で増田センセと議論したおかげで生まれた論文.この論文では中央構造線沿いで測定された動的再結晶石英の粒径をレビューして勝手に解釈を与えたんだけど,他人のデータを自分流にアレンジし直すおもしろさを体験した.後日,この論文の最後に掲載した粒径の古応力計の図が,Passchier & Tourtの教科書「Microtectonics」で引用されたことを知り,これでやっとこの分野に貢献することができたと喜んだ.世紀をまたいで生きていくのは論文ではなく,論文を総括した教科書なのだ.

  18. Michibayashi, K. & Jaireth, S. 1991. Sulphur-isotope and elemental geochemistry studies of the Hemlo gold mineralization, Ontario: sources of sulphur and implications for the mineralization process: Discussion. Canadian Journal of Earth Sciences, vol. 28, 2069.
    • (小話)オーストラリアに留学したんだけど,スーパーバイザがサバティカルでアメリカにいた都合によって最初に研究したのはカナダの金鉱床だった.おかげで岩石―流体相互作用を学べたんだけど,当たり前だがとっても大変だった.それでも,少しはわかってきたかなって感触を持ち始めた矢先に発表されたのが,この論文でやり玉にした論文である.博士課程2年目で生意気盛りだったこともあり,馬鹿言ってんじゃねえよ,おまえら構造を無視しすぎって文句を書いた結果,計らずも国際誌デビューとなってしまった.共著者は鉱床学について色々と教えてもらっていた任期付き研究者だったインド人.この論文を一緒に書いた後,任期を終え大学を去っていった.今,どこで何をしているのだろう?翌年帰国したときに立ち寄った静大で和田センセに「見たよ」って言われた時はうれしかった.

(共著)

  1. Katayama, I., Hirauchi, K., Michibayashi, K. and Ando, J., 2009. Trench-parallel anisotropy produced by serpentine deformation in the hydrated mantle wedge. Nature, 461, 1114-1117, doi:10.1038/nature08513.
    • 片山さんとの共同研究の第1弾.Nature掲載!「Natureに投稿したことがある研究者」から「Natureの論文をもつ研究者」に格があがった.しかし,データは協力したけど,Nature掲載に至ったのは片山さんのおかげである.なので,気持ちは相変わらずチャレンジャー.アンチゴライトは蛇紋石である.カンラン岩研究にとって蛇紋石は邪魔な産物であり,これまでに蛇紋石を研究対象としなかった.2001年にオマーンで会った佐藤さん(当時金沢大)が最初に蛇紋石と蛇紋岩のおもしろさを語ってくれた研究者である.しかし,佐藤さんの分野が地球化学だったこともあり,おもしろいとは思ったけど他人の興味だとしか思わなかったのは正直な気持ち(ごめんなさい!).まじめに取り組むきっかけを与えてくれたのは第2著者の平内さんである.

      2008年9月,平内・片山・道林に渡辺さん(富山大)が加わって長野県白馬村のスキー客向けのペンションでフィールドセミナーを開催した.夕食後に温泉でくつろいだ後,酒を飲みながら和室の塗り壁をスクリーン代わりに平内さんは蛇紋岩の構造とその魅力を語った.バスタイトや綾織り状組織を綺麗だと思ってしまった自分を肯定したいような否定したいような気持ちのまま,酔いにまかせてヤジのようなつっこみを続けた.迷惑な話である.ほとんど認めていたにもかかわらず,干渉色になぞへて「カンラン岩研究はレインボーカラーのサンシャインサイエンスだけど,蛇紋岩研究は白黒だけのムーンライトサイエンスだ」と減らず口をたたく始末.それほど,平内さんの蛇紋岩に対する思いは熱かった.

      以来,蛇紋岩を無視できなくなり,アンチゴライトを指数付けできるようにEBSDのセッティングを行った.今度は片山さんの行動が機敏だった.まずは2つの実験試料を持参してアンチゴライトの測定を行い,手応えを感じたようだった.しばらくして,1週間の予定で測定にきた.早朝から夜中まで一所懸命測定した姿は印象的だった.感心していたのだが,もう1泊の予定にもかかわらず「もう勘弁してください」と言い残して広島に帰っていった.目をつむってもパターンが浮かぶ毎日によって体力は消耗し心は限界だったのである.こんなことはカンラン石では考えられない事態であった.蛇紋石,恐るべし.(つづく)

  2. Okamoto, A. and Michibayashi, K., 2005. Progressive shape evolution of a mineral inclusion under differential stress at high temperature: example of garnet inclusions within a granulite facies from the Lutow-Holm complex, east Antarctica. Journal of Geophysical Research, 110, B11203, doi:10.1029/2004JB003526.
    • 筆頭著者の岡本さんが日本学術振興会特別研究員として静岡大学在籍中に一緒に行った研究をまとめたもの.JGRに受理される前に他の雑誌でエディターリジェクトを1度もらっている.JGRでも査読が手強く,彼の実力と忍耐なしには発表できなかっただろう.この研究の起源は古く,なんと私自身が日本学術振興会の特別研究員として東京大学に在籍していた13年以上前に遡る.当時鳥海さんから紹介された1989年の論文を読んで,大学院生(山岸くん)とそのアイデアの魅力に引き寄せられた.しかし,アイデアはおもしろくても,実際の岩石からはなかなか応用可能な微細構造を見いだせなかった.

      その後の経緯を省略して,本論文の南極の石についてである.もらった理由は,分析が目的ではなく単なるおみやげだったんだけど,最初から「これはもしかして」と思った.これが,本研究の始まり.さらに途中を省略して,最終的に彼のおかげで13年来のアイデアが見事に理論的に発展して本論文に結実した.この論文は息の長い論文になる予感がする.論文が掲載されたのは,彼が職を得て静大を去った後だった.色んな意味で感慨深い論文である.

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