オマーン (Oman)

"The place was a very deep valley surrounded by ridges so high that they touched the sky, and so steep that there was no way to reach their top".

The thousand and one nights,
Simbad the Sailor's second voyage.

注:このページ(に限って)は地質学用語が氾濫しています.適当に斜め読みしてください.

1998年1月19日〜2月15日まで,ニコラ教授とブーディエ教授の地質調査の補助としてオマーンにいった.私の同行は最初から予定されていたのではなく,当初行くはずだった学生が都合でいけなくなり,急遽(基本的には自由の身の)私に白羽の矢があてられたのである.決まったのは,あと数日で新年を迎えようとしていた昼下がりであった.

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さて,ここではオマーンでのスナップショットを何枚か紹介します.このページの写真は,すべてスライド写真を取り込んで加工したものです(デジタルカメラは壊れることを恐れて,持っていかなかった).オマーンでは,3日間ホテルに宿泊した以外は,すべてオフィオライト中でのキャンプ暮らしでした.すばらしい大自然のなか,体調も良くすごすことができました.

キャンプ

ペリドタイトに囲まれたキャンプのひとコマ.車に食料・水等をすべて蓄えて,その日その日で適当に場所を探してテントを張った.シャワーはもちろんないけれど,そのかわり調査中に水たまりを見つけると,昼食休憩の合間にそこで体を洗った.大自然の中,素っ裸で体を洗うのは最高に気持ちよかったです.

(唯一の)記念写真

別のキャンプで,アドルフ・ニコラ教授(右)とフランソワーズ・ブーディエ教授(左)との記念写真(2月2日午後4時すぎ).ニコラ先生は,わざわざ「帽子をとって写るからな」との前置き付きでつきあってくれた.(ちなみに日付が傾いているのは,カメラを車の上に置いて撮影したために,元のスライド写真が斜めになっているためです.ここでは画像を回転させています.こんなとき,デジタル画像は便利.)

彼ら二人は,20年間毎年この時期にオマーンで地質調査をしている.この地道で壮大な研究は,1979年に博士号を取得したばかりのブーディエ先生が,当時オマーンを精力的に研究していたアメリカグループに同行したのが,そもそものきっかけだったそうである.オマーンでペリドタイトを見た瞬間に,これはいける,と思ったのだそうです.そして,1981年から1988年までのプロジェクトをニコラ先生とスタートさせたのである.このときの結果は,1988年のTectonophysicsのオマーン特集号に結実している.あれから10年を経て,彼らの調査も再びまとめの段階にはいっているようで,今回も未調査域を埋めるようなルートを歩いた.予定では,近年中に某雑誌で特集号を組み,彼らの20年に及ぶ調査結果を載せたオマーン・オフィオライト構造地質図を発表することになっている.そして,なんとその地質図に研究協力者の(ほとんど最後の)一人として,私の名前も入れてくれるそうである.これを「棚からぼたもち」と言わずしてなんとしよう.そんなわけで,一生懸命調査しました.

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大景観

目的地に向かう途中.すばらしい景色に感動.オマーンは近代化がものすごい勢いで進んでおり,主要道はごらんの通り舗装されている.ただし,我々の目的地までは当然のごとく舗装されていない.車はトヨタのランクルである.いや〜,いいくるまですねえ.何度,この車に救われたことか.オマーンでランド・クルーザーという意味を実感しました.そして,(文字通りの)オフロードや濁流渡り等の運転技術を,助手席にすわったニコラ先生やブーディエ先生の(もっとスピードを下げろとか,アクセルを踏めとか,夢でうなされそうな)叱咤激励によりマスターしていきました.

道路から脇をみると,この景色.ここはヤンクー.アワザイナ・フォーメーションの有名な地域だそうです.そんなことを知らなくても,十分に感動的な地形,壮大な地形がじゃんじゃんじゃかじゃか続いている.これでもかっていうのを通り越している(なんのことだか).

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マントルを歩く

とある山頂からのパノラマ写真.これ全部ペリドタイト.

上の写真の反対方向(逆光だったので青暗くなっている).前方に見える山の山頂付近はガブロで,モホは山腹にある(なんとなく横筋が見えませんか?).つまり,マントルから海洋地殻を上に眺めている構図なのだ.いや〜,すんばらしいです.

ミスキン岩体というオフィオライトの端(basal unit).黄色く見えるのはダナイトで,それ以外はハルツバージャイトである.縞模様もよく見えた(この写真ではよく見えない).

川(ワディという)岸にある古いお城.後方の山は,エレン岩体のペリドタイト.どうでもいいことですが,この写真は,なんとなくサンダーバードに出てくる基地のようです(古すぎる?).

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アドルフ・ニコラ・オン・ステージ

最後の1週間は,ニコラ先生のお友達が参加し,巡検主体となった.そのため,オマーン・オフィオライトの最も良い模式地を最上部の堆積物から,枕状溶岩,ダイク,ガブロ,ペリドタイトまで見て回った.各露頭では,ニコラ先生による説明があった.フランス語の説明であったが,ときどき僕に気を使ってくれて英語で説明してもらえたのはありがたかった.ともかく,オマーンを語らせたらこの人以外にはいないという大先生とこの巡検を含めて,直接3週間も同行できたのは,最高の幸運であった.その一部だけでも身につけているといいのですが...

ところで,ニコラ先生は,キュウリが大嫌いです(笑).あと,オペラが大好きで,毎朝6時の起床時間には,カーステレオで半径1キロにこだまするくらいの大音響のオペラで,我々を起こしてくれたのであった.彼曰く,「最高の音は,人の声である.そして,オペラこそ最上の音楽である」のだそうです.それにしても,このダンディーなおじいちゃん(孫がいる)は,たばこをすぱすぱ吸いながら,いちいちカッコつける(あるいは,もったいぶる)ような気がする.ある晩,星空を見上げるために彼の双眼鏡を借りようとした.

「すいませんが,双眼鏡をお借りできますか?」「おまえの運が良ければ,貸してあげよう」「???」となっている私を横目に見ながら,ポケットに(当然)あるはずの双眼鏡を手探りで見つける.「運のいいやつだ.ほら,使うがいい」.呆気にとられた私を想像できますか?.

また,ニコラ先生は短気です.ものすごく短気です.すぐに熱くなります.さらに,ブーディエ先生とすごい口論をします(ブーディエ先生も長年のつきあいから,まったく臆せずにかみつく.二人の口論は恐い).っが,5分もすると,すべてを忘れてしまったかのようにご機嫌になる.そのあがりさがりは超極端である.だから,彼の怒りをいちいち気にする必要はなく,適当に流しておけばよいのであった.気にしていたら,身がもたないだろう(と言ってしまえる私も楽天家).

あるとき,ブーディエ先生が,キャンプ地を提案したのだが,自分の意向とは反したらしく,「この先に良いキャンプ地なんてあるわけないよ.そんなの明らかだ」と(いつものように)ぶつぶつ言いだした.「まあ,ともかく行くだけ行こうか,どうせだめだろうけど」と,相手の言い分を(とりあえず)尊重はしてくれたが,ほとんど信じていない様子だった.ところが,結果的に,かつての放牧民の住居跡に到達した.うまい具合に小さな岩山に囲まれて道路から見えない.小さな谷沿いで焚き火用の木もたくさんあった.見上げると,モホの山がそこにある.ここで,ニコラ先生は,さっきの自分のせりふなど忘れて,「お〜,いいじゃない,すばらしい.今夜のキャンプ地は最高だ」と言いながらのえびす顔である.まるで,自分はこうなることがわかっていたかのような上機嫌なその態度を見ながら,私は,ひょっとしたらこの(なりふりかまわないような)柔軟な思考が大切なのかもしれない,と思った.どう思います?

ここがモホだよ,と指さすニコラ先生.とにかくオマーン・オフィオライトについてなら,たぶん1年中でも話をしていられると思います.しかも,わかりやすいんですよ,とっても.

「このオフィオライトは,このモデルで説明できるのだ.最近の研究結果では...」などと,露頭の前でウィンタースクール用のOHPシートを広げながら,熱く!説明をするニコラ先生.もう好きったらありゃしないっていう雰囲気をど〜んと感じるのは,心地よいことでした.見習いたいものです.とにかく,彼の語りは自分たちの調査結果を土台として,重力探査,東太平洋海膨での研究結果など,ありとあらゆる情報を体系的に組み立てている.イマジネーションという一言では片づけられない説得力があった.さすがに教科書を書くだけのことはあります.このときに感じたのは,模式図の重要性です.自分の考えを的確に表した模式図をわかりやすく示すことで,聞き手の納得度がぐっとあがるようでした.彼の描いた(正確には彼のアイデアに沿って技官が描いた)図は,どれもカラーで美しく,そしてわかりやすかった.

後方でたばこを吸っているのは,知っている人は知っている構造地質学者のJean-Pierre Brun氏(現TectonophysicsのEditor in Chiefの一人).帽子をおさえているのは,(その分野の人なら知っている人は知っているはずの)地球化学者のPhillipa Vidal氏.二人ともフランス・地球科学部門のお偉いさんなのだ.特にVidal氏は,CNRSのEarth Science BranchのVice Presidentだそうです.とっても優しい紳士でした.Jean-Pierre氏は,がははと笑う豪快な人でした(おなかもでていた).キャンプではニコラ先生と一緒にいろんな話をして皆を笑わせていました(しかし,私の語学力では笑う以前の問題でした).この幸運な出会いにより,5月にプリンストン大学の一行を連れていく(S−Cマイロナイトの論文で有名な)延性剪断帯の巡検に参加させてもらえることになった.らっき〜!

ニコラ先生の傍らにいるブロンドの女性は,考古学者(!)のエレンさん.博士論文からずっと中近東の考古学を研究しているそうです.石器時代に使われていた道具が,どうやらオフィオライト起源であることから,ニコラ先生たちに協力してもらっているとのこと.ちなみに,1日だけこのエレンさんと二人でルートを調査した.パリジェンヌの美人考古学者と調査した日本人地質学者は,あまりいないだろうな(自慢).この巡検中にエレンさんは緑泥石に変質したガブロに,石器時代と同様の岩石を見つけました.この岩石は加工しやすいので,鍋等に使用されていたのだそうです.驚くべき事に,イエメンではまだこの石器が使われているんだそうです.世の中は広いです.

イルチ岩体でガブロの物理探査をしているアメリカの地物グループと出会う.ブーディエ先生の知り合いらしく,あいさつをかわす.

最後は,GEOTIMESの表紙を飾った枕状溶岩の露頭.見る人が見れば感嘆しないではいられない,素晴らしい露頭でした.溶岩がうねっている様子がとてもはっきりわかりました.学生時代に海野先生がスライドを見せてくれたことがあったので楽しみにしていました.スケールは,ニコラ先生とブーディエ先生とエレンさん.

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ほかにもいろいろなスライドがあるので,機会があったら増やすつもりです.


この思いがけない機会を与えてくれた両教授に感謝いたします.また,家族には4週間の不在中,いろいろと苦労をかけました.どうもありがとう.