上図(図3)をクリックすると、当研究室の分光器について、より詳しい説明があります(ただし英語)。当研究室で使用しているイマージョングレーティングの加工について知りたい方はこちら(海老塚昇さんのページ)をクリックしてください。

3. 星間化学の今後
 今日までの星間化学の研究の進展に対しては、主に電波領域に現れる、分子の回転遷移のスペクトル観測が重要な役割を果たしてきた。実際、1において、赤外線領域の振動スペクトルのみによって検出された分子種は全体の1割未満である。分子構造の対称性が高く、分子内の電荷の偏り(永久双極子モーメント)を持たない分子は、たとえ暗黒星雲にどれだけ多量に存在していても、電波領域での回転遷移は非常に弱く観測不可能である。つまり、現在までに得られた星間分子の存在量は、対象とする天体の化学組成の一部だけを見ていることになる。
 1に示す通り、波長が1mm以下の、いわゆるサブミリ波(波長300μm以下は周波数1THz以上に対応するのでテラヘルツ領域とも呼ばれる)から4μmまでの赤外線領域では、もっと軽い分子イオンのスペクトルや、有機分子に必ず現れるC-C骨格振動やC-H変角振動などの遷移が測定可能である。テラヘルツ領域はいわば電波と赤外線の狭間であり、スペクトルを観測する際の感度と分解能を得るための受信機、もしくは検出器/分光器の技術開発が必須である。また、大気中の水蒸気の吸収が非常に大きいこの波長帯で天体観測を行うためには、高度4000m以上の高地、あるいは大気圏外に望遠鏡を作らなければならない。2009年5月14日、赤外線の発見者にちなんだ、”ハーシェル宇宙望遠鏡”が、ヨーロッパ宇宙機関によって無事打ち上げられた。これは宇宙望遠鏡としては最大の大きさ(主鏡の直径3.5m)であるとともに、初の遠赤外線およびサブミリ波の帯域での高分散分光器(HIFI: Heterodyne Instruments for the Far Infrared、波長分解能:λ/Δλ>107)を搭載していて、まさにテラヘルツ領域のギャップを最初に埋める観測装置となるだろう。とくに
星間化学反応のみならず、太陽系形成論においても重要な、H2D+, HD2+などの観測に威力を発揮することが期待されるが、もっと意外な発見があるかもしれない。また、この宇宙望遠鏡が観測ミッションを終える頃に本格運用が予定されている地上最強の望遠鏡が、ALMA (Atacama Large Millimeter / submillimeter Array) である。ALMAは、南米・チリのアタカマ高地(標高 5000 m)に、12 m 望遠鏡 54 素子と7 m 望遠鏡 12 素子からなる国際的な巨大干渉計である。この望遠鏡は、波長 300μm 以上(周波数では900GHz)カバーし、感度と空間分解能の点で、現存の装置を圧倒的に上回る。太陽と同程度の質量の星・惑星系が形成されつつある天体の分子組成とその空間分布を調べることが可能になる。とりわけ、“地球型生命“にとって必須の有機分子:アミノ酸の発見が期待される。
 我々の研究室では、大気の透過率が比較的良好な波長領域:8~13μm (N-band) での星間分子の振動回転スペクトルを観測するための、新しい分光器の開発を行ってきた。この波長領域は多種多様な有機分子の骨格振動が現れる、いわゆる指紋領域ともほぼ一致し、有機化合物の赤外吸収分光分析に用いられている。天体に対する赤外線領域での分光観測データから、分子種の帰属・同定を行うためには,振動スペクトルに対しても回転構造を分離しうる程度の高い波長分散が必要である。従来の地上観測における赤外線分光観測には,可動鏡の移動距離を大きくすることにより高分散が比較的容易に得られるフーリエ変換型赤外(FT-IR)分光器が用いられてきた.しかしながら,大気による背景雑音や光源の揺らぎの影響を強く受けるN-bandでは高感度観測が困難であり,観測対象は一部の明るい天体に限られていた。回折格子でFT-IRと同様の波長分解能を得るためには、一辺が1m程度の巨大なグレーティングが必要になってしまい、高感度化を行うために必須の光学素子の均一な冷却(液体窒素温度以下)が著しく困難となる。したがって,分散素子の小型化が重要となってくる。そこで我々は、ゲルマニウム単結晶イマージョングレーティングを日本の超精密加工技術を適用し、世界で初めて実用化に成功した。イマージョングレーティング (Immersion grating) とは,回折格子の前面の光路を高い屈折率を有する透明媒質で満たした反射型回折格子 (図3) であり、ゲルマニウムの屈折率は赤外線の透過材料としては最高 (n=4程度) であるので、分光器全体のサイズを劇的に小さくする事ができる。この新しい回折格子を搭載した冷却エシェル分光器は、ハワイ・マウナケア山頂の口径8.2m国立天文台すばる望遠鏡に搭載可能である。この新型分光器は現在我々の分光実験室で、詳細な性能評価を星間分子の候補となる種々の分子種に対して行っている。10μm 付近での波長分解能 λ/Δλ はおよそ30,000、感度はFT-IRのおよそ100倍である。近い将来、望遠鏡に搭載し、赤外遷移でしか検出できない新しい星間分子の探査観測を行う計画である。望遠鏡でとらえた新しい波長のスペクトルを化学の眼で見れば、おそらく予想を超えた新発見があるだろう。

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2. 星間化学の成立
 恒星は水素分子を主成分とする星雲の中で、重力収縮によって生まれる。星が誕生する前の暗黒星雲の高密度のコアでは、密度が1cm3あたり100〜10万個程度,温度は10〜100K程度とごく低い。このような暗黒星雲中に,複雑な構造を持つ星間分子が数多く存在することがわかってきたのは,光よりもずっと波長の長い、電波領域の望遠鏡を用いた観測ができるようになってからである。 1963年、最初に電波で検出された分子は二原子ラジカル OH であったが、1968年、69年に多原子分子NH3, H2O, H2CO(ホルムアルデヒド)などが当時の天文学者の驚きとともに検出された。それ以来、世界各国の電波望遠鏡を用いたスペクトル線探査(図2)が競って行われ、そのスペクトルデータ解析に対して分子分光学が必須のツールとなった。年平均3つの分子が宇宙から発見され、現時点で確認された星間分子の総数は140種類を超えている(表1)。宇宙元素存在度の高い H, C, N, Oからなる星間分子が圧倒的に多いが、なかでも炭素を含む分子種が8割を占め、星間空間の極端な環境下でも炭素の化学の多様性が見て取れる。安定な有機分子の他にも、通常の環境ではきわめて短寿命なイオン、ラジカル、シアノポリインなどの直鎖分子、環状分子が見いだされるのも特徴である。希薄で極低温の暗黒星雲中では、1つの分子と他の分子との衝突頻度は1年に数回しかなく、衝突時の化学反応に活性化エネルギーを乗り越えることが困難であることにより、星間分子の生成メカニズムは非常に制限される。最も重要なものが古典的なイオン−分子反応:

     A+ + B → C+ + D (A, B, C, Dは分子もしくは原子)        (1)

である。この反応の本質は、イオン種A+が中性種Bに近づくにつれて、Bに急激な分極を引き起こし、強い相互作用を示すことで、活性化エネルギーが消失するという点にある。イオン-分子反応では生成物が必ずイオンになるので,引き続き他の中性分子とのイオン-分子反応を起こすことができる。冷たい暗黒星雲において、1に挙げた分子イオンが多数見い出されることはこのタイプの反応の連鎖の中間体を見ていると考えることで、うまく説明できる。近年の観測結果から、水素の安定同位体D(重水素)が、星間分子において顕著に濃縮していることが分かっている。これは、星雲中に生成する“イオンの種”(たね)であるH3+やCH3+が、重水素を含む水素分子HDと以下の交換反応を起こすとき、

     H3+ + HD→ H2D+ + H                                        (2)

     CH3+ + HD CH2D+ + H2                                    (3)

重水素を含む分子の零点エネルギーがより低くなるために、発熱反応となるからである。もし、星雲内で星の形成が進行しておらず、温度が10K程度であれば、この逆反応は起きないので、H2D+CH2D+の割合が増えるわけである。星間分子の同位体比についての定量的なデータは、始源的な隕石中に見いだされる有機物中の同位体異常との比較や検証を可能にした。
 これはほんの一例であるが、スペクトル観測→星間分子の発見→存在量の導出→生成メカニズムの解明という一連の研究プロセスは、宇宙化学の一分野としての星間化学(Interstellar Chemistry)を確立するに至った。星雲の分子組成をスペクトル観測によって明らかにすること=“星雲の化学分析”によって、黒く隠された星雲の深部で現在何が起きているか、今後何が起きるかを診断することが出来るようになりつつある。



表1    検出された星間分子       (2008年10月現在)



簡単な水素化物、無機化合物等:

H2(IR),  HF, HCl, H2O, NH3, C2(IR), N2(UV), O2, CH4(IR), CO, CO2, N2O, H2S, CS, SO2,
OCS, SiH4(IR), SiO, SiS, NaCl, KCl, AlCl, AlF, PN, HCP


アルデヒド、アルコール、エーテル、ケトン、アミド等有機化合物関連:
H2CO, H2CS, CH3CHO, NH2CHO, HC2CHO, CH2OHCHO, CH3OH, C2H5OH,
CH2CHOH, CH3SH, (CH3)2O, (CH3)2CO, HCOOH, HCOOCH3, CH3COOH, H2CCO,
CH2CCHCN, CH2NH, CH3NH2, NH2CN, CH3CONH2


環状分子:
c-C3H, c-C3H2, c-(CH2)2O, c-C3H2O(cyclopropenone), C6H6(benzene, IR),
c- SiC2, c- SiC
3

シアノポリイン、ポリアセチレン及び関連炭素直鎖:
C3(IR), C5(IR), C3O, C3S, C3O, C3S, H2C3, H2C4, H2C6, C2H2(IR),
HC4H(diacetylene, IR), HC6H(triacetylene, IR), C2H4(IR), C4Si, HCN, HNC, HC
3N,
HNCCC, HCCNC, HC5N, HC7N, HC9N, HC11N, CH3CN, CH3NC, CH3CH2CN,
CH3C3N, CH3C5N, CH3CCH, CH3C4H, CH3C6H, C2H5CN, HNCO, HNCS, C2H3CN,
C2H5CN

イオン:
H3+, CH+(OPT), CO+, SO+,  CF+, HCO+, HOC+, HN2+, HCS+, H3O+, H2COH+, HOCO+,
HCNH+, HC3NH+, C4H-, C6H-, C8H-, C3N-, C5N-

ラジカル:
CH,  CH2, CH3, OH, NH(UV), NH2, SH(IR), HNO, SO, NS, NO, SiC, SiN, NaCN, MgCN,
MgNC, AlNC, SiCN, SiNC, NH2CH, HCO, CCH, C3H, C4H, C5H, C6H, C7H, C8H, CN,
C3N, C5N, H2CN, HCCN, HC4N, CH2CN, CCO, CCS, CP, PO


(IR)(OPT)(UV)はそれぞれ、赤外線、可視光線、および紫外線の波長域で観測されたことを示す。

宇宙空間に存在する化学物質を追う!             

月刊「化学」'09年8月号掲載)

 
1. 宇宙と化学のめぐりあい
 2009年はガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei, 1564-1642) が望遠鏡を使って初めて天体の観測を行ってから400年目の節目にあたり、日本を含む世界各国で様々なイベントが行われている。我々人類にとって、望遠鏡が発明される遥か以前から、夜空に自ら光り輝く恒星は神秘そのものであり、我々の知るべき宇宙の主役であり続けている。我々の銀河系に存在する恒星の数は推定2000億個、文字通り“星の数ほど”あるが、それらは赤みを帯びたものもあれば、青白く輝くものもある。星々の色が様々に見えるのは、星の放つ光の波長ごとの強さが異なることを、人間の視覚が直ちに認識できる機構を備えているからである。人間の肉眼で感じることができる光の波長範囲を可視光線と呼ぶが、それは、電磁波の波長のごく一部でしかない(図1)。光を波長ごとの強さに分けたものに、スペクトル(Spectrum)という名前を付けたのは、かのニュートン (Sir Isaac Newton, 1643-1727) である。ニュートンはガラスのプリズムを用いて、初めて太陽光を虹色の光に分けて見せた。それから100年以上後、1800年にウィリアム・ハーシェル(Friedrich Wilhelm Herschel, 1738-1822) が、太陽光のスペトルの赤色の”外側”に、肉眼では見えないが温度計を置くと温度が上昇する光:赤外線を発見した。2年後の1802年、イギリスのウィリアム・ウォラストン(William Hyde Wollaston, 1766-1828) および太陽光の虹色のスペクトルの中に、いくつかの細くて、隣の光に比べて暗い線(暗線)を7本見いだした。その後の1814年、ドイツのフラウンホーファー (Joseph Fraunhofer, 1787-1826) が、この暗線の徹底的な研究を行い、350本を超える線の正確な波長を定めたうえで、太陽以外のいくつかの星のスペクトルと比較したところ、星によって暗線の位置が全く異なることを発見した。今日、太陽の暗線は彼の名に因んでフラウンホーファー線と呼ばれる()。彼はその後、回折格子(グレーティング)を初めて製作した。
 この暗線の正体は、化学者にとってはなじみ深いブンゼンバーナーの発明者ブンゼン (Robert Wilhelm Bunsen, 1811-1899) とその共同研究者キルヒホッフ (Gustav Robert Kirchhoff, 1824-1887) によって明らかにされた。ちょうど150年前の1859年、キルヒホッフは白色光源を背景にして、バーナー中の食塩水の炎色のスペクトルを測定し、それが太陽のスペクトル中の暗線(ナトリウムD線)とぴったり一致すること、そして背景光源に対して手前にある媒体が光源より低温のときには吸収線、高温のときには輝線になることを見いだした(キルヒホッフの法則)。また、新しい元素であるCs, Rbの発見をはじめ、太陽外縁の大気中での多くの原子の存在をも明らかにした。これらの成果は原子と光の相互作用としての分光学の発展と、その後の量子論への展開を切り開くものであった。天文学と化学との接点の端緒は、我々の太陽のスペクトルにあった。