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なんで研究者になったの? 目指しているの? 何になりたいの? 

地球惑星科学科には国籍や年齢の異なるたくさんの研究者・学生が在籍しています.

このコーナーでは,
教員たちが研究者を目指したきっかけや
学生たちがなぜ研究者を目指しているのか,
さらに研究をするという経験を将来どのように役に立てたいのか,どのように役に立ってきたのか,
といった話を披露していきます!

研究って,楽しそう! 
結構普通の人たちが研究しているんだな
地球科学を楽しんでみたい!
そう思っていただけるような内容が満載です.

もし,私たちと一緒に研究をしてみたい! と思ったらここをクリック!


須藤 斎 (地質・地球生物学講座 准教授 HPはこちら)の場合

研究者になる気がなかった研究者

わたしは子どものころから絵をかくのが大好きでした.「将来は,絵描きさんになりたい!」と,ずっと思いつづけていたのに,今は古生物学を研究しています.どうしてはじめの夢とはちがう道を進んできたのかお話したいと思います.

わたしの父はパイプオルガンの製作者になるために,ドイツで修行を積んでいました.だからわたしは,ドイツの南部,ボーデン湖のほとりにあるリンダウという街で生まれました.日本にもどったのは1歳になる前で,ドイツのことはまるで覚えてはいません.

父はいわゆる「職人」です.口には出さなかったものの,わたしや兄があとをついでパイプオルガンの製作者になってくれることを期待していたのでしょう.だから子どものころ,父からのクリスマスプレゼントは,ニッパーやペンチなどの工具,ドライバーセットなどです.粗大ごみから拾ってきたテレビをベランダに置き,「中にネジが何個あるか調べてみよう!」とばらばらにしたりするのが,父との遊びでした.「おもちゃがほしい」とたのむと,わたしには赤一色,兄には黄色一色のブロックを買ってくれたりもしました.



子供のころ


このように,子どものころから機械をいじったり工作をしたりする環境にめぐまれていましたが,わたしはたんぼで生きものを見つけたりするほうが好きでした.それと,ほうっておけば一日中,絵を描いていたほど好きだったのです.でも職人の父が働く姿,仕事に集中する姿,ひとつのことをこつこつとこなしていく姿は,大きな影響をわたしにあたえてくれています.

ところが高校生のころ,「生きた化石」のシーラカンスがテレビに映りました.3匹が海底洞窟の中で泳いでいる映像です.このとき,「昔の生きものって,なんなのだろう? 進化っていったいなんなんだ?」とふしぎに思い,やがてそれが「古生物の勉強がしたい!」へと変わっていきました.絵を描くことは自分一人でもできるけれど,化石のことは自分だけじゃ勉強できないよなぁと思ったわけです.

高校の先生に化石の勉強ができる大学を教えてもらい,無事に入学できました.学部1〜2年生のころは,教養科目などの自分がやりたいことと全然違うことも学ばなくてはいけなくて,正直つらい毎日でした.大学をやめようと別の専門学校の試験を受けたりもしていました.ところが3年生になって,野外巡検や実験など少しずつ専門的な内容の講義が増えてきて,少しやる気がわいてきましたが,卒論のために野外調査をひたすら続けていくことが苦痛でしかたがありませんでした.将来何をやりたいのか,まるで分からず,就職活動もしていませんでした.とにかく卒業して,その後はフリーターでも世界放浪でもどうなってもいいや,という気持ちでした.

そんな中,10月ごろ,卒論提出のために調査結果を図にまとめていて,少しずつ自分のデータがまとまっていく体験をしました.「もう少し続けてみても良いかな…」.そんな気持ちになったのですが,時すでに遅し.大学院入試はとっくに終わっていました.ここで,わたしにとっての奇跡が起きました.定員割れのための二次募集.「名前さえ書けば合格させてやるぞ!」と投げやりな励ましを受けつつ受験し,無事に合格.ここで定員割れが無ければ今のわたしはなかったでしょう.

卒論では福島県の地質と貝化石の調査を行っていたのですが,その中で堆積物の年代を決めなくてはいけませんでした.指導教官に「珪藻化石で年代を決められるぞ!」と言われ紹介してもらったのが大学院での指導者であり,別の研究機関に勤めている研究者でした.サンプルを渡して2週間後,呼び出されて言われたのが「ここは○万年前から△万年前の堆積物だね」.なんでそんなに簡単に時代を決定できるんだろう? その方法と理屈が知りたい! 大学院に行った主な理由はこれだけです.実際にやってみると,若気の至りですぐにわかった気になって「僕がやりたいのはこれじゃないな」と思い方針転換をすることに.指導教官が「もっとも危険なテーマを選んでしまった…君の将来は保障できない」という親心をよそに,現在も続けている研究テーマに変更しました.

修士課程ではかなり雑な内容になってしまいましたが,世界で誰もやっていない研究,これをこのまま終わらせるのはくやしいなと思い,博士課程に進学しました.テーマは変えずに時代や範囲を広げて,ひたすら顕微鏡をのぞき,飽きるとドライブに逃げるという毎日でした.たぶん毎日10時間は顕微鏡を見ていたと思います.無事? に博士号を取得(この間に結婚+双子の娘が誕生),一年の無職,学振PDが取れ,国立科学博物館に移動,と精神的・肉体的にも辛い日々でしたが,研究がつまらないと感じたことは無い幸せな毎日を過ごしていました.

国立科学博物館には様々な研究者がいました.わたしの隣の席には魚類の研究をしているおじいちゃんがいました.わたしがシーラカンスの映像を見て,化石の勉強をしたくなったという話をすると,「それ,わたしが撮ったやつだよ」と言われました.「ここにつながっていたんだ,研究をがんばってきて,耐えてきてよかった」そう感じた瞬間です.

わたしのまわりには,研究者になりたいと思ってがんばっている(がんばってきた)学生や博士,教員がたくさんいます.一方でわたしはこれまで研究者になりたい! と強く思ったことがありません.思ったとしたら,家族を養いたいから職が欲しい,というためです.だから,研究者になりたいとがんばっている人たちを見ていると,後ろめたさをすごく感じてしまいます.たくさんの人に励まされて,助けられて,いま,研究者をやっているわけですが,がむしゃらにやってきたらいつの間にかここにいる,という気持ちの方が強いです.運が良かったとしか言いようがないかもしれませんが,少なくとも研究者を目指してがんばっている人たちにはずかしくないように,楽しんで研究をしている姿を見せ続けていきたいなぁと思っています.